ナチスを題材にした傑作映画『シンドラーのリスト』は、モノクロ映画です。
しかしこのモノクロ映画にも、1色だけ色が出てきます。
それは、「赤色」です。
それは、『シンドラーのリスト』に出てくる幼い女の子のコートの色です。
赤い服の女の子が出てくるシーンは何分?(シンドラーのリスト)

1時間8分10秒と2時間15分30秒!
赤いコートの女の子が出てくるのは、
計2回です。
1シーン目…1時間8分10秒~

オスカー・シンドラーは、1942年6月に起きたクラフトのゲットー崩壊時に、愛人のイグリードと共に、赤いコートの服を着た幼い少女を見つけます。
オスカー・シンドラーは、その赤い服を着た幼い少女が危なっかしくて、心配で、目を離すことができない様子でした。
しかし赤い服の女の子は、利口で抜け目がない様子で、監視の目をかいくぐると、ある家屋の中に姿を消しました。
そしてその後はベッドの下に潜り込んで身を隠します。
こうして赤い服の女の子は、ベルジェツ収容所のガス室送りになった7000人になることを逃れたのでした。
映画『シンドラーのリスト』は3時間15分と、
とても長い見応えのある映画です。
2シーン目…2時間15分30秒~

赤い服の女の子は、アウシュヴィッツで死を迎えました。
1943年3月13日に行われたゲットーの解体の際に発見さてしまったのです。
赤い服の女の子の遺体を乗せた手押し車が、オスカー・シンドラーの目の前をせわしなく通りすぎていきます。
オスカー・シンドラーは、視聴者と同じように、赤い服の女の子を前に見たことを覚えていた様子で、ショックを受けたようでした。
赤い服の女の子だけ、カラーの意味は?(シンドラーのリスト)

✔️視聴者の視線を赤い服の女の子に集め、感情移入させる為。
✔️また、後半で出てくるのが、赤い服の女の子と同一人物であると分からせる為。
赤い服の女の子は、幼く、
ユダヤ人が罪がないのに虐殺されていることの象徴です。
オスカー・シンドラーは赤い服の女の子が遺体として再び目の前に現れたとき、
ショックを受けます。
その命は、オスカー・シンドラーが初めて少女を目にしたときに動いていれば、
助けられていたかもしれない命でした。
黒澤昭の『天国と地獄』をオマージュしている?
モノクロの映像の一部にカラーを手にいれるという手法については、
Wikipediaによれば、
映像『映像の魔術師 スピルバーグ自作を語る』の中でスピルバーグ監督が、黒澤明監督の映画『天国と地獄』の影響を受けていると明かしたということです。
黒澤明監督の『天国と地獄』には、例えば、赤い塗料を染み込ませたものが燃えると、赤い煙が立ち上るという演出がありました。
一方『シンドラーのリスト』では、赤いコートの服を着た女の子が赤く色づいている他、ユダヤ人の安息日の祈りの蝋燭の灯も赤く色付いていました。
シンドラーのリストがモノクロであることの意味は?
そもそも『シンドラーのリスト』がモノクロで表現されていることの意味は何でしょうか?
それは次の通りです。
リアリティさを持たせ、「ホロコースト」を美化させない為。
(カラーは、陰鬱な物語の映画に温かさと美しさを吹き込んでしまうと判断)
(我々が目にしてきた「ホロコースト」は全てモノクロだった)
スピルバーグ監督は、『シンドラーのリストのリスト』をモノクロで撮影した理由について、メディアHistory Enhancedの取材に対し、次のように話していました。
私はこう言った。「もしこれをカラーで作ったら、『カラーパープル』をカラーで撮ったのと同じことになるだろう。ジョージ・スティーブンスのダッハウ解放の映像を除いて、ホロコーストについてこれまで誰もが目にしてきたものはすべて白黒だ。私はホロコーストをカラー化するつもりはない」
ホロコーストを題材にした映画は視覚的に魅力的であるべきではなく、明快でインパクトのあるものでなければならない
『カラーパープル』とは?
映画『カラーパープル』は、黒人女性に対する差別を取り扱った映画であり、『シンドラーのリスト』同様、重いテーマを扱った映画です。
『カラーパープル』が公開された当時、批評家たちは、同映画が暗い主題を美化しているとして、スピルバーグ監督を激しく非難したそうです。

この過去は、スピルバーグ監督の中に少しトラウマとして残っていたのかもしれないね
まとめると、『シンドラーのリスト』をモノクロで公開し視覚的な魅力を取り除くことで、物語にリアリティーをもたせる狙いがあったということでしょう。
『シンドラーのリスト』によりリアリティを持たせる為に
スピルバーグ監督が、『シンドラーのリスト』で彼らは確かにそこにいるのだという現実味を出す為に行ったことが、他にもあります。
それは、
①凝った仕掛けや、レンズクレーン撮影も使わない
②映画の最後に本人を登場させる
といったことでした。
撮影は、スピルバーグ監督自らが肩にカメラを担いで行いました。
このアナログな手法は、近年話題になったナチス映画『関心領域』と通じるものがありますね。
(『関心領域』も、リアリティ感を出す為に固定カメラで撮影するなどの工夫を行いました)
また、スピルバーグ監督は、『シンドラーのリスト』の最後に本人たちを出演させることによって、この作品は事実に基づいた物語であるということを、主張しました。
赤い服の女の子は誰?名前は?(シンドラーのリスト)


赤い服の女の子の名前は、ゲニア・チル。
彼女は実在する少女でした。
初回登場時点で、彼女は3歳でした。
ゲニア・チルは、ドレスナー一家の親族で、母親のエヴァが、ドレスナー夫人のいとこでした。
赤い服の女の子がシンドラーに目撃されるまでの過程
少女ゲニアが、オスカー・シンドラーに目撃されるまでの過程は、次の通りです。
ゲニアは、両親の計らいによって、田舎に住むあるポーランド夫婦の元に預けられていました。
ゲニアの両親も彼らは彼らで、田舎に住んでいました。
しかしその田舎でも、役所がユダヤ人密告者に懸賞金を与え始めると、ユダヤ人狩りが盛んに行われるようになり、隣近所がいつ敵になってもおかしくない、という状況になってしまいました。
その為ポーランド夫婦は、このまはまでは、預かった女の子の命おろか、自分たちの命まで危ぶまれることになることを恐れ、自分等の行動を恥じた上で、クラフトのドレスナー夫婦を訪ね、ゲニアを返しました。
ゲニアの両親も、クラフトに戻るチャンスをうかがっているところでした。
ゲニアは全身赤色コーデ(赤い帽子、コート、靴)でしたが、これらは、ポーランド人夫妻が赤色好きのゲニアの為に買い与えたものだったようです。
ゲニアとドレスナー夫妻、その子供たちの間に面識はありませんでした。
その為に、ゲニアは彼らに対する警戒心を解こうとはしませんでした。
ダンカ(ドレスナー夫妻の娘)にエヴァ(ゲニアの母親)の話を持ち出されると、ゲニアはじっと椅子に座って正面を向いたまま、これを否定しました。
「イイエ、チガイマス。ワタシノオ母サンノ名前ハ、エヴァジャアリマセン。ヤッシャデス」
トマス・キリーニー作,磯野宏訳,新潮社『シンドラーのリスト』160p1,989年出版
ゲニアはその後も、もし親衛隊などに尋問されることがあっても身を守ることができるようにと、教え込まれていた架空のポーランド系の家族の名前を、並べ立てていきました。
ドレスナー家は、ゲニアの3歳とは思えないずる賢さに眉をひそめはしても、これを遮ることはしませんでした。なぜなら、それがその内本当にゲニアの命を救うことになるかもしれないからでした。
しかしゲニアは、顔見知りの優しい叔父(ゲットーの医師をしている)、イデーク・シンデルが訪ねてやってくると、年相応の子供に戻った様子で叔父に駆け寄っていきました。
そしてドレスナー夫妻らが、敵ではなく、嘘をつく必要はなかったのだということを、理解したようでした。
それからゲニアは叔父と住みました。
そしてクラフトの解体が始まったその日。
叔父は、出掛ける前にゲニアを隣人に預けていきました。
しかし束縛を嫌うゲニアはひとり表へ出ていって、親衛隊につかまることになりました。
ゲニアは列の後尾を歩かされました。
このときゲニアは親衛隊による惨殺現場を目の当たりにしますが、動じた様子はみせませんでした。
そして平和広場に集められたゲニアは、そこで自分を探しにきた叔父に気が付きます。
"助けてやるから声を上げないでくれ"と願う叔父の心配をよそに、ゲニアは、ここで声を上げれば、ふたりとも親衛隊の目に留まって殺されてしまうかもしれない、ということを理解しているようでした。
ゲニアは素知らぬ様子を決め込むと、大胆にも、警備兵や親衛隊たちの間をゆっくりと移動し、誰の注意を引くこともなく、広場から姿を消したのです。
そのあっぱれさにイデークは、心の中でゲニアに拍手喝采を送りました。
ゲニアはその後、叔父と住んでいる部屋の寝室まで戻りました。
そして、伯父が時間をおいて彼女を見つけにくるまで、ノックにも応えることなく、ベッドの下に潜って隠れていました。
『シンドラーのリスト』のスクリーンに映し出された赤い服を着た女の子は、このときのゲニアの行動をとらえたものでした。
しかしいくらこのときのゲニアの行動が大胆不敵で、かつ冷静であったからといって、彼女に恐怖心がなかったわけではありません。
というのも彼女はそれまでに何度も夜中に起き出していて、その都度叔父になぐさめてもらわなければならなかったからです。
しかし彼女が生き残るには、他の子供たちもそうであったように、したたかになるしかなかったということのようです。
赤い服の女の子は、その後どうなったの?(シンドラーのリスト)


・赤いコートの服の女の子は殺害され、
1944年4月、フヨヴァ・グルカの丘で焼却された。
(プワシュワ収容所と、ゲットーで殺された犠牲者1万人余りの死体に焼却命令が出た)
・ゲニアは、1943年3月13日、ゲットー解体の際に発見され、殺害された。
赤い服の女の子の実在モデルであるゲニアの両親(ダビド チルとエヴァ⦅旧姓シンデル⦆) も、
亡くなってしまったそうです。
伯父のイデークがどうなったのか?ということについては、確認することができませんでした。
が、叔父については、ホロコースとを生き延びた可能性が高いです。
ゲニアについての証言がありますし、
医師であったということなので、
仕事が与えられなくて困ることも恐らくなかったでしょう。
仕事がない=生きることを許されないということでした。



こんなことがどうして許されたのかと、やるせないね。
おじさん辛かっただろうな
赤い服の女の子を演じた子の現在は?(シンドラーのリスト)


赤い服の女の子を演じた子役は、
ポーランド人の「オリヴィア・ドブロフスカ」(Oliwia Dabrowska)です。
クラフト出身です。※赤い服の女の子がいた場所
オリヴィア・ドブロフスカが、
赤い服の女の子を演じたとき、彼女はゲニアと同じ3歳でした。
オリヴィア・ドブロフスカは、
監督から、18歳にあったら作品を観るようにと勧められていたといいます。
しかし彼女は、11歳のときに『シンドラーのリスト』を観ました。
当時は、「2度と観たくない」と思ったそうですが、
その考えは時が経つにつれ、
「誇りに思える作品に参加できた」というポジティブなものに変化していったそうです。
シンドラー・オスカーに感銘を受けた彼女は現在、
ウクライナでプーチン軍から逃れる家族を助けたり、
インスタライブを開き募金活動への寄付の協力を呼び掛けたりさるなどして、人道的支援に積極的に携わっています。



立派だなぁ…
オスカー・シンドラーからオリヴィア・ドブロフスカへと、バトンが繋がれているんだね
参照文献:
書籍『シンドラーズ・リスト : 1200人のユダヤ人を救ったドイツ人』(トマスキニーリー著、幾野宏訳)
書籍『私はシンドラーのリストに載った』(エリノア ブレッチャー著、幾野宏訳)
https://zrzutka.pl/en/evetp6
https://screenrant.com/schindlers-list-girl-red-coat-meaning-explained/#:~:text=The%20decision%20is%20intended%20to,what%20Spielberg%20wanted%20to%20avoid.
https://www.geni.com/projects/SCHINDLER-s-LIST-The-little-girl-with-the-red-coat-the-true-story/5803#:~:text=In%20the%20well%2Dknown%20movie,nee%20Schindel)%2C%20both%20perished.
https://screenrant.com/schindlers-list-girl-red-coat-meaning-explained/#:~:text=The%20decision%20is%20intended%20to,what%20Spielberg%20wanted%20to%20avoid.
https://historyenhanced.com/steven-spielberg-refuses-universals-proposed-change-to-schindlers-list/
コメント