本記事には、『聲の形』のアニメ映画と原作漫画の違いを、
できるだけ分かりやすくまとめてみました。
アニメ化でも実写化でも、
まず全く同じということはないので、
どこが違うのか、気になりますよね。
聲の形|アニメ化映画と原作漫画の違いまとめ(最後の結末など)
映画と漫画、違うのは、大きく次の3点
- 最後の結末の違い
- 石田たちが映画制作をしたかどうかの違い
- 真柴の比率の違い
映画と原作の違いを3つ上げるのであれば、この3点を上げます。
他にも上げるのであれば
- 漫画の方が行動やセリフが過激
- 漫画の方が流れが自然
- 漫画の石田将也の方が高校生になってからもやんちゃ
- 漫画の植野の方が良い奴
他にも上げるのであれば、全体的に感じた違いとして、上記4点を上げます。
「漫画の方が流れが自然になる」というのは、いうまでもないといいますか、致し方ないことですね…なんせ、7巻分を1本の映画に凝縮しなければならなかったのですから。
ということで、カットされたささやかなエピソードは他にもあります。
違い①最後の結末(『聲の形』映画と漫画)
『聲の形』アニメ映画版と原作漫画の1番の大きな違いは、最後の結末(終わり方。文化祭が終わった後も描かれているかどうか)です。
(文化祭の後が描かれているかどうか)
映画でのラストシーンは、文化祭です。
しかし漫画では、その先も描かれています。
映画には、漫画全7巻の内、7巻の約半分くらいまでがおさまっています。
ということで、
映画と漫画の結末がどのように異なっているのか、
それぞれのラストシーンをまとめてみました。
比較していきましょう。
アニメ映画版『聲の形』のラストシーン
アニメ映画版『聲の形』ラストシーンでは、退院した石田と西宮が東地高校の文化祭に出掛けます。
石田は自分のクラスに行きますが、教室のドアを開けたらすぐに気持ち悪くなってしまい、トイレに逃げ込みます。
そこに永束を始めとするみんながやってきて、石田はトイレを出て、みんなに向かい合うと、和解します。
植野が「バーカ」という手話を覚えてきていたなど、ムードは良い感じです。
石田は、皆で文化祭を一緒にまわりたいと言い、そうすることになりました。
そこで石田は、目と耳を開くのですが、感動で涙が止まらなくなり、必死に手で涙をぬぐい続けました―――。
原作漫画『聲の形』のラストシーン
漫画『聲の形』ラストシーンでは、東地高校の文化祭が終わり、卒業し、それぞれが定めた進路へと進み、成人式を迎えるまでが描かれています。
漫画でしか読めない映画のその後のストーリーは、
- 58話:成果
- 59話:進路
- 60話:何者
- 61話:卒業
- 最終話:聲の形
の5話分です。
ここから先は、これらのあらすじを1話ずつ順番に紹介していきます。
58話:成果(ネタバレあらすじ)
クラスメイトの顔が見れるようになって、声も聞けるようになった石田は、クラスメイトとの距離が縮まり始めています。
石田、永束、西宮姉妹、川合、真柴、佐原、植野、島田らで制作した映画が、映画の公開選考会を突破。(島田は、永束に音楽のデータを渡す形で参加。植野のおせっかいによる)
審査会イベントに皆で参加するも、しかし結果は酷評。
お疲れ様会な感じで、帰りは皆でファミレスへ。
植野が弦詰にお子様ランチをすすめると、それが西宮のツボにハマって、西宮はケタケタと笑います。
その様子を見た弦詰はうれしそうに涙ぐみます。
皆の雰囲気は温かく良い感じです。
59話:進路(ネタバレあらすじ)
佐原と植野は、ファッションコンクールの結果発表に参加する為に、東京へと向かいます。
西宮は、理容師になりたくて、誘ってくれている尊敬する先生の店で働きながら資格を取る為に上京したいのだという胸の内を石田に明かしました。(この時点で石田は、西宮がなりたいのは、美容師だと勘違いしている)
すると石田は、東京は危険だし、家族がさみしがると言って、もう反対します。
西宮は気を悪くし、しょぼくれて帰ってしまいました。
石田はどうやって西宮を止めたらいいか、ということしか頭にありません。
家に帰ると、佐原からメールが届きました。
なんと佐原と植野はファッションコンクールでグランプリに入賞し、来年の東京行きが決まったというのです。
60話:何者(ネタバレあらすじ)
石田は部屋でボーッとしています。
佐原や植野の東京行きは素直に応援することができたことで、西宮に東京に行ってほしくない理由は、単なる自分のエゴであると、認めざるを得なくなったのです。
このタイミングで西宮からは「地元でチャレンジしてみます」とメールが入り、罪悪感に駆られます。
永束は映画の専門学校、真柴は杭瀬大(教師の資格が取れる大学)、川合は真柴と同じ大学、とそれぞれ進路を決めていました。
結弦は市のコンクール(写真)で入賞し、高校進学を目指して学校に通い始めました。勉強は石田が見てやります。
石田は最終的に、西宮に「東京行き応援してる」とメールの返信をしました。
画像だと分かりづらいかもしれないけど、
石田の部屋に『東京の治安マップ』があるよ。
くすくす…
61話:卒業(ネタバレあらすじ)
西宮の東京行きは確実となりました。
石田は皆から、そんなに心配なら東京行けばいいじゃん、と言われていたので迷いがありましたが、結局、家業を継ぐ為に地元に残って理容師の資格が取れる学校に通うことを決めました。
植野は石田を訪ね、自身が東京に行く事になったこと、西宮は美容師志望なのではなく理容師志望なのだということ、石田が川に落ちたときに助けたのは島田たちだということを告げました。
彼らは卒業し、石田は、東京に行く西宮を送り出しました。
そして、石田は島田とちゃんと話してみたいと考え、成人式に来るかどうか確認する為、永束に島田の連絡先を聞きます。(※永束は、映画制作中に植野から連絡先を知らされていました)
最終話:聲の形(ネタバレあらすじ)
水門市の成人式の日がやってきました。
佐原と植野は、2人でブランドを立ち上げることが決まっています。
成人式の後は、同窓会です。
石田と西宮は、水門小の同窓会会場へと向かいます。
2人とも緊張していました。
石田は植野の手を取って、同窓会会場へと続くドアを押し開けました。
そこで物語は終わりとなります。
石田と西宮はその後付き合うのか?植野はどうなる?
違い②石田たちが映画制作をしたかどうか(『聲の形』映画と漫画)
漫画では、映画好きの永束の発案により、皆で映画制作をして映画コンクールに応募することになります。
結果的にメンバーは永束、石田、西宮姉妹、川合、真柴、佐原、植野、島田で制作します。
このエピソードは3巻の初め~7巻の最後の方に渡って描かれていますから、原作では主要エピソードです。
映画は、橋の上で皆が仲間割れして際に制作が中断されましたが、
石田が意識不明の重体になったことをきっかけに、西宮がみんなに呼び掛け、映画制作が続行されます。
完成した映画は、東地高校の文化祭と、映画コンクールで上映されました。
石田は文化祭で完成した映画を観て、上映が終わると同時に思わず「最高」と叫んでしまい、皆の注目を一斉に浴びると、恥ずかしくなってトイレに駆け込みます。
そこに永束やみんなが集まってきて、和解する、という流れです。
違い③真柴の比率(『聲の形』映画と漫画)
映画を見た視聴者からのコメントで、
「真柴くんって必要ある?」というコメントを目にしたことがあります。
映画の中の真柴の影響力や存在感は、
その程度のものであるということです。
つまり活躍シーンが少ない。
しかし映画より先に漫画を見ていた視聴者であれば、
「真柴くんって必要ある?」とは思わないでしょう。
違い④漫画の方が行動やセリフが過激(『聲の形』映画と漫画)
映画より漫画の方が、登場人物の行動やセリフが過激です。
子どもにも問題なく見てもらえるように、
過激な表現は控えたのかもしれません。
例えば、橋の上で皆が仲間割れする例のシーン。
石田がひとりずつに対して順番に暴言を吐いていきますが、そのセリフも、漫画の中の方が過激です。
川合には、
「心の底からあんたを気持ち悪いと思う」
大今良時作『聲の形』5巻,講談社
と言いますし、
真柴には暴言を吐かない代わりに、殴りたきゃ殴れと言うのですが、すると本当に思い切り殴られます。
真柴にはサイコパス疑惑が…
違い⑤漫画の方が流れが自然(『聲の形』映画と漫画)
映画の中では石田は、橋の上で皆と揉めるシーンで、真柴に「部外者が口出すな」と牽制しますね。
このセリフ、不自然に感じませんでしたか?
「部外者」=ほかのみんなに対しては仲間意識を持っている、ということになるので、
つまり、なんだか石田が今の状況に陶酔しているように見えてしまうのですよね。
余裕があるように見えるというか…
しかし実際はきっと石田に余裕はなかったのだと思います。
映画を観た後で漫画を読むと、
するとそれは漫画にはないセリフだったので、腑に落ちたというわけでした。
他にも、
物語の冒頭で、西宮と石田が筆談ノートを拾う為に川に飛び込むシーンがありますが、
映画ではふたりの別れ際が不自然ではありませんでしたか。
川から上がったタイミングでの、
西宮からの唐突な「またね」は一方的に感じました。
しかし漫画では西宮母が現れて、西宮を連れ帰ったのでした。
違い⑥漫画の石田将也の方が高校生になってからもやんちゃ(『聲の形』映画と漫画)
これは正直気にならない人多いのではないかと思いますが、
映画と比べて、漫画の石田将也の方が高校生になってもやんちゃだったように感じます。
例えば石田は、西宮と再開したとき、「友達になれるか?」と聞きます。
しかし漫画ではその後に照れ隠しでつい、
「って言ってたんだろ!?あの時!」「ったくよくあんなハズカシーこと言えるよな!!」
大今良時『聲の形』2巻,講談社
と口走ってしまっています。
人間、そんなに急には変わらないと思うので、こちらの方か自然な気がして個人的には好みでした。
違い⑦漫画の植野の方が良い奴(『聲の形』映画と漫画)
漫画の方が、植野の心情について描写されているので、彼女について、理解しやすいです。
漫画の方が、植野がいいやつに見えます。
違い⑧その他(『聲の形』映画と漫画)
他にも、細かい部分になりますが、いくつか、映画と漫画との違いを挙げていきます。
例
・映画では西宮の筆談ノートを捨てたのは石田。しかし漫画では西宮の母である。(漫画では石田がこのとき西宮母にひっぱたかれている)
・映画では石田は池に落ちたとき、西宮のスカートの中が見えそうになって慌てて池から出る。が、漫画で石田は、普通にノートを拾って池から頭を出している。
・映画では、石田と西宮は初日で佐原を見つけることができた。しかし漫画では、初日では見つからず、後日佐原と石田が偶然再開した。
・映画では、佐原と西宮のふたりでカラオケに出掛けていた。が、漫画では、石田と永束も4人一緒に出掛けている。石田は場を盛り上げる為に大声で熱唱した。
・映画では、西宮の聴力が衰えてしまい、西宮が落ち込んでいるシーンがハッキリと描かれている。しかし漫画にはない。(描かれなかっただけで、設定としては元々あった)
・映画では、西宮家のおばあちゃんが亡くなってしまい、結弦は母親が涙するシーンを目撃する。しかし漫画では目撃せず、母親のことを「涙もひとつこぼさない」と非難していた。
・映画では、石田はラストに感動の嵐で号泣する。しかし漫画では、泣くことはない。(映画ではラストシーンなので盛り上げる為に脚色したのでしょう。しかし個人的には原作の方が自然な気がして好みです)
・映画では、植野が石田の病室で石田を看病しているという直接的なシーンは出てこない。立てこもっているシーンが映るのみ。しかし漫画では、植野が石田にこっそりと口付けしていると思われる描写がある。
「選ばれないのだったら 目覚めない方が ずっといい」
大今良時『聲の形』6巻,講談社
という、中々過激な心の中の声も出てくる。
・映画で植野はラストに、西宮に対して「バーカ」と手話を披露する。しかし漫画にそのエピソードはない。その代わりみんなでファミレスに行って、和気あいあいとする。
他にも、省略されたささやかなシーンは細かく上げていったらキリがないので、これで以上としますね。
他にも気になるようでしたら、原作漫画も読んでみて下さい。
なんでもそうだと思いますが、やはり原作漫画の方が描写が深いと感じますね。
しかし映像はキャラクターが動いたり声を出したりするところが、良いですよね。
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