本記事では、
映画『関心領域』の結末ネタバレと、
意味深なラストシーンの考察・解説を徹底的に行ってみました。
※好き勝手に考察しています。
映画『関心領域』の結末(ラストシーン)をネタバレ
ルドルフ・ヘスが、
事務所の階段を降りていきます。
ですがその途中で、2、3度と繰り返し嘔吐してしまいます。(ほとんど空嘔吐)
その後もまた階段を降りていくのですが、一階降りたところで立ち止まると、こちら(カメラ正面)に振り返ります。
すると画面が真っ暗に切り替わり、暗闇の中に、除き穴のような地小さな白い丸が見えているだけになります。
実はそれがアウシュヴィッツ博物館のドアスコープ(除き穴)だったということは、同博物館の清掃スタッフによって開かれたことで分かります。
それからは、館内の清掃スタッフが、開演前の博物館を黙々と掃除している様子が映し出されます。
そして、焼却炉、松葉づえや義足、囚人服、犠牲者の写真、はなはだしい量の靴が次々と、清掃スタッフと共に画面に映し出されます。
そしてまたカメラはルドルフ・ヘスを映し出します。
ルドルフ・ヘスはカメラから視線を離すと、再び階段を降りていきます。
一階降りるごとに、画面は暗くなります。
ルドルフ・ヘスは、降りていきながら制帽をかぶって、暗闇の中へと姿を消していきました。
『関心領域』のラストシーンをネタバレありで考察・解説【結論・まとめ】
一言でいうと、
ルドルフ・ヘスは、あなたと何も変わらない平凡な人間だったけれど、虐殺者となってしまった。
(誰しもが虐殺者になりえる)
ということではないでしょうか。
ルドルフ・ヘスは、
嘔吐してしまいましたが、これは無意識の内の良心の呵責を表わしていたように思いました。
ルドルフ・ヘスは、嘔吐する前、
アウシュヴィッツに戻って、また家族と一緒に暮らせるようになることを喜んでいます。
しかしこれは罪なことですよね。
なぜかといえば、
ルドルフ・ヘスは今までも、そしてもこれからもアウシュヴィッツに戻って、
ユダヤ人家族をバラバラに引き裂いて、更には命まで奪ってしまおうというのですから。
また、スクリーンには唐突に壁の向こうが映し出されました。
このことによって、観客は壁の向こうで何が行われていたのか、ハッキリと知ることになるわけですが…
そこには、淡々と掃除するスタッフの姿が。
つまりこれは、ルドルフ・ヘスも清掃スタッフと同じで、悲惨な光景を目の前にしても淡々とアウシュヴィッツ所長の仕事を淡々とこなしてきただけだ、ということを伝えたかったように感じました。
また、ルドルフ・ヘスが、映画の中では初めて犠牲者たちに関心を持った場面であったようにも思えます。
そしてルドルフ・ヘスとスクリーン越しに目が合ったように感じられるのは、
"ルドルフ・ヘスとあなたは何が違うのか"ということを問いかけられているようになど感じます。
ルドルフ・ヘスが最後制帽をかぶって暗闇の中に降りていくのは、
ルドルフ・ヘスが覚悟を決め、
もう後戻りすることはできない、奈落の底へと続く階段を下り始めた様子を映し出しているようでした。
『関心領域』ラストネタバレ考察解説①ルドルフ・ヘスが突然嘔吐した意味
ルドルフ・ヘスが、『関心領域』のラストシーンでルドルフ・ヘスが突然嘔吐した理由は、
自責の念によるもの?
なぜそう思うのかという1番の理由は、
ルドルフ・ヘスが吐いてしまうという『関心領域』のラストシーンは、
映画『アクトオブキリング』のラストシーンをオマージュ?しているように思われるというのが1番です。
後述しますが、
『アクトオブキリング』は、
インドネシアの映画で、虐殺者が虐殺シーンを再現してみせるという異例のドキュメンタリーです。
この映画の中に出てくる虐殺者たちは、虐殺を虐殺とは思わず、正しいことをやったと信じています。
(これは、ルドルフ・ヘスと同じですね。彼もまた、ユダヤ人を根絶やしにすることは正しいことだと感じていたと、終戦後に告白しています)
しかし『アクトオブキリング』のラストシーンで、虐殺現場に戻ってきたその人は、突然嘔吐したかと思うと、それを立て続けに繰り返します。
このシーンは「やらせ」との見方もありますが、
自分がやったことは本当に正しかったのか?という罪悪感から戻してしまった、というのが通説です。
もっともこのラストシーンにおいては、
『関心領域』は実話になぞらえて制作された話ですが、
ルドルフ・ヘスが嘔吐したというような史実は見つからず、脚色であると考えられます。
現実のルドルフ・ヘスは、
前述した通り、ユダヤ人を根絶やしにすることは正しいと感じていたと証言しており、
彼が遺した手記からも罪の意識は感じ取ることはできず、
また、検察官も、彼からは反省の色を感じることはできず、むしろ誇らしげですらあったと振り返っています。
しかしグレイザー監督は、
ルドルフ・ヘスに人間味をもたせる為に、
あえてこの本来であれば入れる必要のないシーンを入れたのではないでしょうか。
(それに彼は最終的には自分の罪を悔いて亡くなったとされていますから、無意識の内の両親の呵責を表現したとすれば、事実に基づいていると解釈できるのではないでしょうか)
監督は物語を真実に近づけるかを大切にしたようですから、
ルドルフ・ヘスの良心の呵責を表現する為に、
実話を参考にしたのかもしれないですね。と思いました。
ルドルフ・ヘスは妻に電話する前には更に医師の診察も受けていましたが、
これは視聴者に(嘔吐したのはからだが悪いからなのか?それとも精神的なものなのか?)考える余地を与える為だったのではないかと推測します。
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『関心領域』ラストネタバレ考察解説②アウシュヴィッツ博物館が映し出された意味
アウシュヴィッツ博物館が映し出された意味
映画『関心領域』のラストシーンで、アウシュヴィッツ博物館が映し出された意味。
それは、
ルドルフ・ヘスの関心領域の広がり・不安を表していたのではないかと考察しました。
『関心領域』にこれまで映し出されてきた映像は、
ルドルフ・ヘスの関心領域内で行われている出来事だったのだと考えると、
きれいですし、合点がいきませんか?
映画の途中には、ルドルフ・ヘスが壁の向こうで所長として虐殺現場を監督しているらしきシーンも出てきますね。↓
しかしそのときも、悲鳴が鮮明になっただけで、画面には無関心そうにしているルドルフ・ヘスが映し出されているだけでした。
(しかしそれも終いには消えて、スクリーンは真っ白になってしまいます。
ルドルフ・ヘスは、
残酷で逃げ出したいような虐殺現場を前にしても、
所長として動揺を悟られない為、感情を殺していたのだと、当時の想いを手記に綴っていました。
なるほど、このスクリーンが真っ白になったシーンは、ルドルフ・ヘスが、自分の感情を全て殺していたことを表していたのかもしれません)
ラストシーンでは、あれほど頑なに映されなかった壁の向こうが、ハッキリと映し出されました。
しかしそれは未来のアウシュヴィッツ収容所だった、というのはミソですよね。(博物館は跡地に建っています)
それは、ルドルフ・ヘスの関心の中心には、犠牲者ではなく、あくまで家族がいることを表わしていたようにも思えます。
「家族の幸せはいつまで続くのか」それが、ルドルフ・ヘスの専らの心配事だったようなので。
ルドルフ・ヘスは、
つい立ち止まって、そのようなことを考えてしまったのかもしれません。
アウシュヴィッツ博物館の清掃員が映し出された意味
博物館の館内を淡々と掃除する清掃員が映し出された意味。
それは、
無関心にならなければ、ルドルフ・ヘスは生きていけなかったということを伝えていたのかもしれません。
なぜかといえば、見たら誰もがショックを受けるようなむごたらしい光景に目の前にしても動じず自分の務めを淡々と果たす清掃員と、ルドルフ・ヘスの姿には、重なるものがあります。
毎日のことなのに、いちいちショックを受けていたのでは、とても身が持ちませんよね。
当時の人は、死体を見ることにも慣れてしまいました。
しかし誰しもが最初はショックを受けたはずです。
環境に慣れることは生きていくには不可欠な能力で、それを適応能力といいますが、感覚が麻痺してしまわない為には慣れないことも大事で、複雑ですね。
ルドルフ・ヘスは、手記に、
"私は人事を尽した"と書き残しています。
また、手記からは、彼が、自身の仕事に対して死刑執行人のようなイメージを持っていたことが分かります。(だから罪悪感がない模様)
また、ナチス戦犯として処された人たちの多くが、
ルドルフ・ヘスと同様に、
「命令だったから、仕方なかった」という言い方をしました。
なんだか切ないですね。
虐殺者・ルドルフ・ヘスは、
仕事ができて家族思いの平凡な父親が、
家族を守る為に環境に適応しようと、努力していった成れの果てだったのかもしれません。
『関心領域』ラストネタバレ考察解説③ルドルフ・ヘスとスクリーン越しに目が合う意味
映画『関心領域』のラストシーンで、ルドルフ・ヘスがカメラ目線になる意味は、
ルドルフ・ヘスとあなたの何が違うのか
ということを問う為であるように思えます。
「観客には彼らの姿に自分の姿を重ねて見てもらいたい」
というのは、グレイザー監督の願いでもあります。
また、グレイザー監督は、
「この話を現在進行形で伝えたい」
「大虐殺を行う彼らを化け物と責めることは簡単だ」
といったことも話しています。
現代でも、ナチスのホロコーストと似たような争いは行われています。
今この瞬間にも命を奪われていく人たちはいるわけですが、
我々は、あくまで娯楽として映画を楽しんていたというのが実際のところなのです。
ルドルフ・ヘスがカメラ目線になった瞬間、急に彼と目が合ったようで、ドキッとしますよね。
ルドルフ・ヘスが見ていたのは、
未来のアウシュヴィッツ収容所であり、そして、
スクリーンの中にいる自分のことを未来から見つめているあなただったのかもしれません。
『関心領域』ラストネタバレ考察解説④ルドルフ・ヘスが暗闇に消えていく意味
映画『関心領域』のラストシーンで、ルドルフ・ヘスが暗闇に消えていく意味。
それはまさに、ルドルフ・ヘスが奈落の底へと続く階段を降りていくことを示唆しているようでした。
ルドルフ・ヘスが一階降りるごとに画面が暗くなるので、
まるで彼は奈落へと織りていっているようです。
最後は覚悟を決めたように制帽をかぶります。
ルドルフ・ヘスが最後に引き返すことができたかもしれなかったのは、
階段を降りていく途中でふと立ち止まった、
あの瞬間だったのかもしれません。
ルドルフ・へスは、1947年4月、アウシュヴィッツ強制収容所で絞首刑に処されました。
映画『関心領域』のラストシーンはあの映画のオマージュ?
前述しましたが、ルドルフ・ヘスが嘔吐してしまうラストシーンですが、
この部分については史実も見つからないので、脚色であると考えられます。
が、このシーン、とあるドキュメンタリー映画のラストシーンに、よく似ているのです。
その映画とは、
『アクトオブキリング』です。
※繰り返しになってしまいますが、飛ばして読んでくれる人の為に繰り返し記載します。
2012年公開の映画です。
この映画は、
ルドルフ・ヘスのように過去に虐殺をしたことのある人物たちが出てきて、虐殺がどのように行われたのか再現してみせる、という異例のドキュメンタリーです。
※なぜそんなことができるのかというと、
その人物たちは地元では英雄で通っていて、本人もそのように認識している為、英雄談を語るという意識で映画の取材に協力してくれたという経緯があります。
※インドネシアでは、1965年9月30日に、陸軍のトップ7人が惨殺されるという9.30事件が起こりました。
この事件の背後に共産党がいると考えられたことから、1965年から翌年にかけて共産党関係者に対する大虐殺が起こりました。
これが、虐殺者たちが、祖国を守った英雄とされる理由です。
『アクトオブキリング』のラストシーンでは、
ある人物が、実際に自分が行った虐殺を自らが被害者役となって再現してみせていたのですが、
実際の現場に戻ってきたところで、突然何度も吐いてしまいます。
既視感ですよね。
突然嘔吐してしまった理由としては、
やらせなどという見解もありますが、
罪悪感に苛まれた為ではないかというのが通説のようです。
グレイザー監督は、
ルドルフ・ヘスの良心の呵責を表わすのに、
物語をできるだけ真に近づける為、
意識的にか無意識にかは分かりませんが、『アクトオブキリング』のラストシーンを参考にした、という可能性はありそうですよね。
『関心領域』を観ると、
どんな映画だったかということだけでなく、
自分自身についても、どんな人間なのかということについて、考えさせられてしまいますね。
それがこの映画の怖いところでもあります。
引用文献:
https://navymule9.sakura.ne.jp/Rudolf_Hoess.html
https://www.youtube.com/watch?v=zOVj6ozpH3s&ab_channel=moviecollectionjp
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