本記事は、映画『関心領域』をとことん深掘りしてみた、まとめのような記事です。
『関心領域』に込められた意味や背景などを、一気におさらいしていきましょう。
史実(実話)と共に、ネタバレありで、考察・解説していきます。
実話なので、意味が分かると怖いし、ちょっとグロく感じられるところもあるかもしれないですが…
歴史のお勉強をする気分でも、楽しんで頂けるかと思います。
それでは早速怖い実話27選、確認して参りましょう。
関心領域|怖い実話①ヘス家はアウシュヴィッツ強制収容所と壁を共有している
『関心領域』でずっと違和感があったのはヘスの家の位置。なんでこんなに収容所と近いんだ?そんなに近くに住むから銃声悲鳴焼却炉の騒音排煙悪臭光害に悩まされる。ヘス自身神経まいってるし義理のお母さんは逃げ出した。でも事実なんだよなあ。。(5番がヘスの家) pic.twitter.com/ph17llXRiA
— XXXXXXXX (@khiikiat) May 25, 2024
諸悪の根源と言っても良い、アウシュヴィッツ強制収容所と壁を共有している問題。
グレイザー監督らも、その余りの距離の近さに、愕然したと話していました。
この近さであれば、壁の向こう側からも、ヘス家の幸せそうな生活音が聞こえてきただろうと。
想像するだけで怖いですよね。
へートヴィヒが"楽園"と呼んだこの庭で、撮られた家族写真は、多く残されているといいますが、
しかしどの写真も、アウシュヴィッツの壁は写らない画画で撮られたものだったといいます。
関心領域|怖い実話②ルドルフが急に表に出る

ルドルフがひとり外に出ていって、タバコを吸うシーン。
こういったことは、度々あったことだと、ルドルフ自身も、次女も、振り返っています。
ルドルフは、ふと虐殺のことが思い起こされると、家族の心地好い空気にひたっていることができなくなったのだと、後に書き残しています。
妻子が実に幸せそうにしていると、(おまえたちの幸せは、果たしていつまで続くだろうか?)という暗い気持ちにとらわれてしまうのだと。
心配の矛先は、虐殺者家族のことではなく、当然自分の家族に向かったのですね。
突っ込みどころではありますが、それが、普通ですよね。
そうでないと、虐殺など起こらなかった、ともいえるでしょうか。
次女は彼のことを"世界一良い人だった"と表現しています。
彼女のいう世界というのは、ヘス家のことを指すのでしょう。
ルドルフは、世界一彼女の世界を守ろうとしてくれた人だったということなのでしょうね。
関心領域|怖い実話③使用人がルドルフのブーツを洗うと水が赤く染まる

冒頭にあった、使用人がルドルフのブーツを洗うと水が赤く染まるシーン。
これが怖い理由は、言うまでもないですね。
関心領域|怖い実話④ヘス家に持ち込まれる衣類はユダヤ人のもの

ジャイアンですね。
ヘス家に持ち込まれていた衣類は、ユダヤ人が収容される際に身に付けていたものでした。
へートヴィヒが、使用人にも服を分け与えていたシーンがありましたね。
へートヴィヒは、裏で、使用人らに配布される下着を奪い、その代わりに自分が着古したものを与えていたというのです。
怖いですが、それだけではありません。へートヴィヒは、ユダヤ人を雇うのに、収容所にささやかなお金を払うと、彼らにはタダ働きをさせていました。
へートヴィヒは、屋根裏部屋の作業場で働くユダヤ人の針子に対して、次のように話しかけたといいます。
「すいすいと上手に縫うのね。どうして、そんなふうにできるの?だって、ユダヤ人は寄生虫で詐欺師だし、何もせずにカフェでだらだら過ごしてきたんでしょう。どこでこんなふうに働くことを覚えたの?」
アウシュヴィッツのお針子p203-204より
嫌味なのか、それともナチス・ドイツに洗脳されてしまっていて、本気なのか。
ヘス家には、
ユダヤ人から取り上げた服を仕立て直す際には、「ユダヤ人が触れたものに触れると、虫酸が走る」という理由で、ボタンを全取っ替えするという驚愕のルールがありました。
それでは、なぜユダヤ人に服を作らせるのか。
ただ、食事は自分たちと同じ良いものを与えたり、たばこや花束をあげたりと、親切にはしていたようです。
へートヴィヒはファッションにのめり込むあまり、アウシュヴィッツ収容所内に、高級服仕立て作業場を設けました。
これは私利私欲の為でしたが、結果として、お針子として生きていくことのできる囚人を増やすことに繋がりました。
芸は身を助けるとは、正にこのことですね。
関心領域|怖い実話⑤歯磨き粉から出てきたダイヤモンドはユダヤ人のもの
ダイヤが歯磨き粉から出てきたシーンがありましたね。
このダイヤも、ユダヤ人のものでした。
このユダヤ人は、強制収容所に移送させられる際、ダイヤを持ち運ぶのに、そのまま持ち運んだのでは、ナチスに盗られてしまうことを懸念して、歯磨き粉の中に隠していたのです。
ナチスからは、移住するだけだと伝えられていましたから、まさか、そのままガス室送りになったり、強制労働させられたりするなんて、思ってもみないことでした。
スーツケースに入るだけの必要なものを入れていくようにと、伝えられていたのです。
この時の所持品として、鍋やフライパンが多く持ち運ばれたことを考えると、胸が痛みます。
ユダヤ人は、財産である宝石をナチスに奪われることを恐れて、歯磨き粉の中や、マグカップの底に取り付けた隠し底の中に隠して、持ち運んだというわけでした。
それでいて、ヘートヴィヒの「奴らは賢い」「もっと探して」発言。意味が分かると、尚更怖いと思いますよね。
関心領域|怖い実話⑥子供がベッドで眺めている金歯はユダヤ人のもの

ヘスの子供たちがベッドで眺めていたものが、なんだか分かりましたか。
それは、ユダヤ人の遺体から抜かれた金歯でした。
子供たちは、ルドルフの特権か、そのまま与えられていますが、当時は合わせて延べ棒にされることが一般的だったようです。
ここまでの話でも充分に怖いですが、
それを(ユダヤ人の遺体から金歯や髪の毛を刈るいやな役割を)、
ゾンダーコマンドと呼ばれる、ほぼユダヤ人からなる特殊部隊にやらせていたというのですから、
残酷ですよね。
(髪の毛は、繊維会社に売る為)
関心領域|怖い実話⑦遺体の処理が追い付かないので焼却炉を建設

ルドルフ・ヘスが、建設会社の人を自宅に招いて、アウシュヴィッツに建設する2炉目の焼却炉について、商談をしているシーンがありました。
この焼却炉の役割ですが、気がつきましたか。
その役割とは、ユダヤ人の遺体を焼却することでした。
商談で出てきていた"荷"というフレーズは、遺体のことを指していたのです。
意味が分かると、怖いシーンです。
ナチスは、
①悪臭がひどくなる
②囚人の不安を煽る
という理由で、焼却を急いでいたらしいのです。
2炉目の焼却炉を建設し、その後のヘス作戦では、2か月間で43万人、1日約1万人の人が亡くなりました。
が、無論、
焼却炉だけでは到底、遺体の処理に追い付きません。
それで親衛隊の妻がどうしたかというと、
収容所から漂う悪臭を、"ソーセージ工場のニンニクの臭い"だと信じることにしたようです。
関心領域|怖い実話⑧川を黒く染めたのはユダヤ人の遺灰

途中、川が黒く染まり、ルドルフ・ヘスが血相を変えて慌てて川で遊んでいた子供たちを外に出す、というシーンがありました。
実に奇妙。
このルドルフの行動は、アウシュヴィッツ強制収容所よりユダヤ人の遺灰が流されてきた為でした。
遺灰の他に、遺骨も流されてきていましたが、それは砕ききれなかった分と思われます。
ナチスは、犯罪の証拠を残したくないという理由で、骨を残すことを良しとはしませんでしたから。
意味が分かると、怖いシーンです。
関心領域|怖い実話⑨体を洗うシーンですらホラー
ヘス親子は、黒くなった川から上がって自宅に戻ると、やっきになった様子で体を洗っていました。
このシーンにも、もう一つの怖い理由があります。
なぜなら壁の向こうでは、水も石鹸も大変貴重で、囚人たちは、1日にわずかな時間しか使えない細い水を求めて、争っていたのですから。
彼ら囚人は、水欲しさに、泥水をすすることすらありました。
あるとき、ヘルタ・フフスは自分のズボンを洗うために水を使おうとした。ドイツ兵にそれを見咎められ、むき出しの臀部に鞭を25回ふるわれて洗い場から蹴り出された。こんな状態で、どうすれば女性たちがシラミとおさらばできるのか。
アウシュヴィッツのお針子p170より
大変な思いをしたのは、灰にさせらた人たちの方だというのに。
それくらいのことで、ジャッブジャッブ水を出して体を洗っているなんて、と、
囚人たちの惨状を知っていると、余計に目に付いてしまうシーンです。
このシーンの他にも、ルドルフ・ヘスが局部を洗うシーンや、へートヴィヒが入浴を楽しむシーンが出てきましたね。
意味が分かると、優雅で、怖いシーンです。
関心領域|怖い実話⑩娘も母親も無関心
へートヴィヒの母親が、アウシュヴィッツ収容所の存在感に居たたまれなくなった様子で、帰宅するシーンがあります。
このシーンは、へートヴィヒの、そしてへートヴィヒの母親の、そして観客の無関心さを訴えてくるようなシーンだと思います。
へートヴィヒは、アウシュヴィッツの物騒な音や景色には、完全に無関心でいるようでした。
観客も、それらの異様さにも少しずつ慣れてきた頃合いだったのではないでしょうか。
へートヴィヒが壁の向こうに無関心でいるのはもちろんですが、
母親も結局は、遠くに行って無関心でいることを選びました。

関心領域|怖い実話⑪へートヴィヒはアウシュヴィッツ強制収容所の本質を見抜いていた

へートヴィヒは、1942年に、ルドルフの口から聞いて、アウシュヴィッツ強制収容所の本質を知りました。(それまでも薄々察していたと思われますが)
へートヴィヒは使用人に対し、
「夫があなたのことを灰にして辺りにばらまいてやるから」
と脅していましたね。
へートヴィヒが、壁の向こうで何が行われているか、知っていたからこそ出てくる発言ですね。
本当に囚人が灰になって辺りにばらまかれているのですから、これは悪質なジョークではありません。ただひたすらに怖いだけです。
史実として、へートヴィヒ・ヘスは、気に入らない使用人がいると、ルドルフに告げ口をしたといいます。
へートヴィヒは使用人に対してこの他にも、
子供たちが、プールで遊んだまま家に上がったので床が水浸しになったのを早く拭けと怒鳴るなど、
辛く当たっていました。
ヘートヴィヒの、使用人対する態度が、目に余りますね。
関心領域|怖い実話⑫庭師が庭に遺灰をまいている

ヘートヴィヒが、「灰にして辺りにばらまいてやる」と使用人を脅したその後。
ヘス家の庭師が、誰かの遺灰らしきものを庭にばらまいているシーンが、意味深に映し出されます。
これが本当に使用人というわけではないと思いたいですが…。
なんだかゾッとしてしまう怖いシーンですね。
関心領域|怖い実話⑬ヘートヴィヒは家族よりアウシュヴィッツに夢中

ルドルフヘスのの転属が決まりましたね。
ヘートヴィヒは、
夫と離れるのは寂しいとしつつも、
自分がアウシュヴィッツから離れることは頑固として拒否しました。
結果、ルドルフは家族と離れ単身赴任することに。
農業をやることが夢だったヘス夫婦にとって、
アウシュヴィッツでの田舎暮らしは、正に理想。
ヘス家の庭には野菜畑があり、
アウシュヴィッツ利益地域には、広大な農業付属収容所も設立されていました。
ヘートヴィヒは、
"ここで暮らしここで死にたい"とすら話していたというのです。
思わずギョッとしてしまいますね。
まあ、欲しいものは何でも手に入りましたからね。
ある親衛隊の妻?ケーテ・ローデは、
ユダヤ人がアウシュヴィッツに移送されてくると、
お宝がたくさん手に入るということなので、
大変喜んだそうなのです。
まさか、アウシュヴィッツ強制収容所に対してマイナスどころか、
プラスの感情が働いていたことも有り得るのでしょうか。
現代に置き換えてみると、我々にも少し考えられそうです。
例えば自宅の隣に工場があるとして、その工場は、日夜お構いなしに騒音や悪臭をまき散らしているとします。
であれば間違いなくクレーム案件ですが、そこに旨味があったらどうでしょう。
例えばその見返りとして、月に100万もらえるのです。
生活に苦しければ苦しい程、それがむしろありがたいものに感じられますよね、きっと。
そんな感覚だったのでしょうか。
ヘートヴィヒは、ルドルフに、
「アウシュヴィッツは子供達にとって最高の環境で、
子供達は心身共に健康である」とも訴えていましたね。
でもちょっと待ってよ。
冷静に見れば、
子供達にとってアウシュヴィッツの暮らしは健康とはいえず、よって最高な環境でないことは、分かるはず。
ヘートヴィヒは、自分がアウシュヴィッツから離れがたいという理由で、
子供をダシに使ったのでしょうか。
本当に怖い話です。
関心領域|怖い実話⑭次女が夢遊病
『関心領域』には、次女(インゲ=ブリギット)が夢遊病であることの描画が出てきました。
が、これも実話です。
インゲ=ブリギットは、当時10歳でした。
現代でも夢遊病の原因は分かっていないものの、
昼間のストレスや、興奮を伴う体験がきっかけになるということです。
ヘートヴィヒ、これで健康とは、やはり怖いですね。
関心領域|怖い実話⑮長男が洗脳されてていじめっ子
長男(クラウス)はヒトラーユーゲントのメンバーでした。
クラウスが戦争ごっこで身に付けていたのは恐らく青年隊の制服で、ヒムラーから贈られたものでした。(制服は自分で用意しなけねばなりませんでした)
▼ヒトラーユーゲント、て?
1926年に設立されたドイツの国民社会主義ドイツ労働者党党内の青少年組織に端を発した学校外の放課後における地域の党青少年教化組織で、1936年の法律によって国家の唯一の青少年団体(10歳から18歳の青少年全員の加入が義務づけられた)となった。「ヒトラー青少年団」とも訳される。
Wikipedia ヒトラーユーゲント
ヒトラーユーゲントでは、武器の訓練や、基本的な戦術の学習などがされたそうですよ。
因みにヘス家の使用人たちは子供たちと仲が良く、子供と遊ぶのを楽しみにしていたそうです。
子供たちは、いつの時代も天使ですね。
しかし長男に至ってはいじめっこだったので、使用人たちは注意を払っていたのだそうです。
例えばクラウスは、囚人をぱちんこで撃ったり、鞭で叩いたりしました。
他にも、処罰した方が良いと思う囚人について、告げ口をすることもありました。
というのもクラウスは看守に憧れていたようです。
クラウスがそのまま看守になっていたらと思うと、本当に怖いですよね。
環境柄、クラウスのように看守に憧れる少年は、きっと他にも多くいたのでしょう。
関心領域|怖い実話⑯少女は収容所にりんごを届けていた

『関心領域』の途中で現れる幻想的な少女がいます。
彼女は、レジスタンス(抵抗)活動をしているポーランド人の少女でした。
ポーランド人の少女というのは当時、強制収容所に出入りしても、看守にさほど気に留められなかったといいます。
それで少女は命を張って、夜な夜な収容所に忍び込んでは、
翌日囚人が見つけられるように、彼らの勤務地にりんごを忍ばせていたというわけでした。
怖い思いしましたよね。子供が子供として扱われない、厳しい時代でした。
こういったレジスタンス運動によって、犠牲者も出ましたが、多くのユダヤ人を強制収容所から脱出させることに成功しました。
関心領域|怖い実話⑰窓辺で物騒な会話を聞く次男
当時は、パンの奪い合いでも殺し合いが起こるような時代でした。
『関心領域』には、囚人同士で、ポーランド人の少女が置いていったりんごの奪い合いになって、看守に射殺されてしまう、という皮肉なシーンが描かれています。
この騒ぎを、ヘス家の次男(ハンス・ユルゲン)が、自宅の窓辺で耳にしていました。
子供たちは、"当時何も知らなかった"とされていますが、果たして本当にそうだったのでしょうか。
子供たちは、戦争ごっこをすることがあり(父親に見つかるとひどく叱られた)、あるとき、両親の不在中に、へートヴィヒの親友のミア・ヴァイセボーンと、囚人ごっこをしました。
その囚人ごっこ遊びで、ヘス家で料理人として働いていた囚人のゾフィー・スティペルが椅子に縛り付けられ、石鹸を重しにしたタオルで殴られたというのですから、怖いですよね。
関心領域|怖い実話⑱看守の怒声はガン無視で野鳥の声のみ拾う

『関心領域』では途中、ルドルフと息子が乗馬を楽しむシーンが出てきます。
周囲は、看守の怒声でうるさかったですね。
しかしルドルフが拾うのは、観客の耳には届いてこない、野鳥の鳴き声のみでした。
「あの鳥の鳴き声は聴いたか」とか、
「今のがこの鳥の声だ」とか、
そんなことしか、話しません。
息子も息子で、看守の怒声には特に触れません。
奇妙さが怖いこのシーンですが、この親子にとってはこれが普通で、暗黙の了解というやつなのでしょう。
関心領域|怖い実話⑲ルドルフがライラックを愛でる

ルドルフが、
「ライラック(木)を傷付けるな」
と重々しく電話しているシーンがありますが、なんとなく印象に残りますよね。
人間でなく木を傷つけるなとは…。
木も生き物ですから、もちろん傷付けるのは良くありません。
ですが…。
怖いですが、これは少し滑稽にも感じられる気がします。
関心領域|怖い実話⑳ルドルフが馬を愛でる

ルドルフヘスは、大の馬好きだったということです。
アウシュヴィッツを立つことになったルドルフは、
「大好きだよ」と馬に額を寄せて挨拶します。
ここでも、人間より馬か…と、思ってしまいますよね。
その考えはその考えで、怖いですが…。
関心領域|怖い実話㉑ルドルフが愛人をつくっている

『関心領域』の途中、若い綺麗な女性が登場しますね。
その後ルドルフは局部を洗い、娘には「汗かいている」と言われます。
この女性、ルドルフの愛人かと思われます。
ルドルフ・ヘスは1942年頃、非ユダヤ人の使用人と体の関係を持ったという情報があります。
庭師の証言によれば、これがへートヴィヒにばれ、ふたりは口論になったようです。
愛人の言い分は、リアルで怖いものでした。
関心領域|怖い実話㉒虐殺現場を監督するルドルフも犠牲者

ルドルフ・ヘスが、虐殺現場を目の前にして、
無関心に見えるこのシーン。
彼はこの時一体何を考えていたのでしょうか。
ルドルフ・ヘスは後に、こういった虐殺現場を監督しているときの気持ちについて、
次のように記していました。
人間らしい感情をもっているほどの者なら誰しも、心を引き裂かれるような思いの事態の時にでも、私は、冷酷・無情に見せかけねばならなかった。どれほど、人間らしい感情的がこみあげてなようとも、私は絶対に目を背けることを許されなかった。母親たちが、笑ったり泣いたりしている子供たちと共に、ガス室に入って行くときにも、冷たく見送らねばならなかったのだ。
アウシュヴィッツ収容所 私は人間の尊厳を傷つけた…所長ルドルフ・ヘスの告白遺録p146
ルドルフは自身について、"第3帝国の巨大な虐殺機械の1つの歯車にさせられてしまっていた"とも振り返っていました。
加害者もまた被害者であるという事実は怖いですよね。
『関心領域』で虐殺現場を監督していたルドルフは、やがて画面から消え、画面は真っ白になります。
このシーンは、彼が、人間的感情を沈黙させたということを表していたのかもしれません。
関心領域|怖い実話㉓ヘス作戦を実行
ルドルフ・ヘスは『関心領域』のクライマックスで、
アウシュヴィッツで行われるヘス作戦を監督する為に、
赴任先から家族の元へと帰ることになります。
このヘス作戦では、約2か月間で43万人の人が亡くなりました。
ルドルフ・ヘスに、
もう後戻りはできないようでした。
関心領域|怖い実話㉔アウシュビッツ=ビルケナウ博物館

『関心領域』には、最後、アウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館が映し出されますね。
ナチスの犠牲者の数は、600万人に上るといわれています。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館には、当時の遺品や、当時の写真が多く残されています。
関心領域|怖い実話㉕ルドルフ・ヘスは平凡な人間
『関心領域』のラストシーンでは、
冷酷な大虐殺者として知られるルドルフ・ヘスは本当は平凡な人間で、
あなたと彼の何が違うのか、
といった恐ろしさが凝縮されているように思います。
関心領域|怖い実話㉖ルドルフの最期
ルドルフ・ヘスは戦犯として、
1947 年 4 月にアウシュヴィッツで公開絞首刑に処されました。
拷問も受けたようです。
判決が出てから、刑が執行されるまでの間、彼は手記を残しました。
この手記によって我々は、当時のことや、ルドルフの人柄について、理解を深めることができます。
ルドルフの最期は悲惨に思えます。
が、しかし何の前触れもなく、何の心の準備もできず、何が起こっているのか、訳もわからず、ただ恐怖の中で長い間もがき苦しみながら命を絶たなければならなかった人々に比べたら、
落ち着いて最期を迎えることができたといえるのかもしれません。
家族に手紙を出すこともできました。
ルドルフ・ヘスの取り調べに当たった検察官のホイットニー・ハリスニュルンベルク裁判検察官は、
「彼が普通の男であったことに驚いた」と話しています。
取り調べ最中のルドルフ・ヘスは、至って客観的で、
感情的になる様子もなく、
また、後悔している様子や罪の意識を感じている様子もなく、
「自分が行っていたことは仕事だった」と、淡々と話したといいます。
そして、絞首台に送られる最後の最後まで落ち着いていたと。
第三者であり、部外者からしてみれば、ルドルフに生き延びてほしかったと思いますが、
しかし当時の犠牲者や遺族の人達からしてみれば、
彼の存在は、怒りや恐怖の対象でしかなかったことでしょう。
ナチスは裁判にかけられると、
揃って「命令に従っていただけ」と言ったそうです。
と言っても彼らは、「収容所で略奪してはいけない(これらはドイツの財産であり私腹を肥やした場合には死刑になる)」という命令には、背いていたということですね。
つまり彼らは、自らの意思で、従う命令と、そうでない命令を、選んでいたとも取れてしまいますね。
当時の状況は分かりません。
が、脱走することができる人もいたくらいなので、
脱走させることはもっと簡単にできたのではないか、と考えてしまいます。
当時のルールで、逃亡すると見せしめとして仲間が犠牲にさせられるというのがあったので、
郊外で殺したことにして逃亡させるのが、最も現実的に思えます。
とある書籍で、囚人に情けをかけた看守がいて、囚人が裁判で看守に有利な発言をし温情を訴えたことで、極刑を免れたという例を目にしたことがあります。
シンドラーなんかは、その極端な例ではないでしょうか。
しかしとある親衛隊隊長は、収容所送りになることが決まった元共産党員に情けをかけ、最後に自宅に戻って妻に別れを告げるのを許した結果、目を離した隙に逃亡されてしまい、そのことの責任を問われ、死刑になってしまいました。
かわいそうな話です。
かといって、逃亡した囚人にしてみれば、その看守がまさか死刑になるとは分かりませんし、強制収容所に収容される=死のようなものですから、どっちも命がけです。
関心領域|怖い実話㉗ルドルフが残した手記にて

ルドルフ・ヘスは、手記を以下の通りに締め括っています。
世間は冷然として、私の中に血の飢えた獣、残虐なサディスト、大量虐殺者を見ようとするだろう。——けだし、大衆にとって、アウシュヴィッツ司令官は、そのようなものであるとしか想像しえないからである。そして彼らは決して理解しないだろう。その男もまた、心をもつ一人の人間だったことを、彼もまた、悪人ではなかったことを。
アウシュヴィッツ収容所 私は人間の尊厳を傷つけた…所長ルドルフ・ヘスの告白遺録p179
ルドルフ・ヘスが恐らく、人間味に溢れた良識人であったであろうこと。
このことは、
以上の文面からも、
次女が父親を「世界一良い人」だと話した言葉からも、十分に読み取ることができますね。
ルドルフが本当に極悪人だったのであれば、
子供に優しくすることなど、到底できなかったでしょう。
見た目で人を判断したらいけませんが、人相も穏やかそうで、好意が持てます。
↓

『関心領域』を観た後であれば、ルドルフ・ヘスの自然な姿は、
きっと子供の前にいる姿だったのだろうと、
そう感じますよね。
ここで、SNSで見つけた心温まる投稿をひとつ。
"実在のルドルフ・ヘスをググったら戦犯として処刑されてて、「ああ…ダメだったか…」みたいな感情が生まれたのが一番怖かった"
その人について関心を持つことが、愛の始まりなのだと感じさせられますね。
最後に、手記を読んだ全体的な感想ですが…
個人的に感じ取ったのは、
子供との時間を十分に持ってあげられなかったこと、
親衛隊にならなければ良かったことなどの後悔の念、でした。
そしてふたつ気になってしまったのは、1点目が、
ルドルフ・ヘスが、
「ゾンダーコマンドの行動や気持ちが、最後まで不可解だった」と振り返っていた点です。
▼ゾンダーコマンドとは?
ルドルフ・へスは、
ゾンダーコマンドが、たとえ遺体の中に妻の姿を見つけても、一瞬ギョッと飛び退いて立ち尽くしただけで、後はたんたんと作業を続けたことや、
まるでドイツ兵かのように、あらゆる手を使ってユダヤ人をガス室に送り込んでいたことの気持ちが最後まで理解することができなかったと、振り返っています。
これに、ツッコみたくなりませんか。
それだけ心が殺されているということ、それ程にガス室送りにされることが恐ろしいこと、理解してあげてよ~。
遺体の中に妻の姿を見つけて、どんなにショックだったか。
死んでいた感情が一時的によみがえる程にショックを受けても、後はたんたんと作業を続けなければならなかったこと。そうできたこと。本当に残酷です。
つまりゾンダーコマンドもまた、
ルドルフと同じように感情を沈黙させていた、
ということではないでしょうか。
ルドルフが虐殺現場の歯車だったのであれば、
彼らはその歯車の使い捨ての部品になっていたといっても、過言ではありません。
何せゾンダーコマンドは、口封じの為、一定期間したらやはりガス室送りにされたのですから。
奇跡的に生き残ったゾンダーコマンドがいます。
彼は当時の感情について、次のように話していました。
「何も感じなくなった」
「良心は奥にとどまってしまう」
心を守るための、防衛本能ではないでしょうか。
彼らの気持ちを本当に理解できるのは当人だけですから、
理解した気でいるなど、おこがましいことですが…
本当に不可解だったのは、ゾンダーコマンドではなく、彼らをそのような心理状況に追い込んでいた、ホロコーストです。
しかしルドルフはルドルフで、(ゾンダーコマンドも自分と同じかもしれない)なんて、考える余裕など、なかったのでしょうね。
あともう一点気になったのが、
ルドルフ・ヘスの、
"自身は虐待をしていない"との主張です。
この主張の意味は、ルドルフは、私情で彼らを虐げることはしなかった、ということでした。
名目上、ルドルフ・ヘスの名前で多くのことが行われていたということですが、
彼はほとんど何も知らなかったということです。
また、ルドルフはアウシュヴィッツ収容所内で行われる虐待に対して、
自分に許される手段の全てをあげて、闘ったということでした。
(「しかしとても根絶することはできなかった」)
ルドルフは、
あくまで命令に従っていただけで、
例えば死刑執行人のような感覚で、アウシュヴィッツ収容所を監督していたということのようなのです。
ガス室送りについても、
ルドルフの中では、「むしろ最後までいたわれるやり方だった」という認識だったと。
(ん?いたわれる、てどういうこと?)
と、思いましたか?
自分は最初そう思いました。
考えた結果、例えば「処刑するから後ろ向け」などと言わずに、
最後まで「シャワー浴びさせる」と言って送ってあげられる、
という意味なのかもしれない、と思いました。
親衛隊は、ガス室送りにさせられる人々に対して、とても丁寧に服を脱ぐように声を掛けた、という証言がありましたから。
(怒鳴ることもありましたが)
しかしいたわるフリができるのは、あくまでガス室に送り込むまでです。
ガス室に送り込まれた人々の悲鳴は、
2台のエンジンを全開にかけても尚かき消すことはできませんでした。
体の弱い方など、すぐ亡くなる方もいたようですが、
しかし長いと、20分苦しんだようです。
あの光の当たらない閉塞的な箱の中でです。
コンクリートの壁に残る無数のひっかき傷が、
彼らの苦しみを物語っています。
これが、最後までいたわれるやり方とは?
強制労働や、人体実験よりかは、
マシだったということでしょうか。
しかしガス室送りは、少なくとも親衛隊にとっては、安楽なやり方だったようです。
例えば銃殺は親衛隊のトラウマになり、負担が大きかったとのこと。(服を脱がせるのはゾンダーコマンドにやらせたが、銃は握らせなかった)
これだけ聞くと、銃殺される方と比較してしまい、おいおい…何かわいいこと言っているんだ…と思ってしまいますが、彼らも虐殺兵器の歯車になっていたということです。
つまり何が言いたいかというと、いたわれていたのは、ガス室送りにさせられる人々に対してではなく、親衛隊に対してだったのではと、思うのです。
もしガス室=安楽というイメージがあり続けていたということならば、
それはややこしかったですよね。
ガス室で亡くなった方の死に顔は、色は悪くとも、きれいだったそうなので、
それもあるのでしょうか。
ルドルフヘスにとっての救い。
それは、彼が一番愛した家族が、
彼が壁の向こうで何をやっていたか知っても、
彼を愛し続けたことだと思います。
そして最期に、収容後、ドイツがポーランドを虐げてしまったにも関わらず、ポーランド人の看守が、自分に対して親切に接してくれたことがありがたかったと感謝のからね気持ちを抱いたことと、そして自分の行いを悔いたこと、それが本当に良かったと思いました。
感謝は幸福と比例するといいます。
参考文献:
書籍『アウシュヴィッツ収容所 私は人間の尊厳を傷つけた…所長ルドルフ・ヘスの告白遺録』
書籍『アウシュヴィッツのお針子』
映像『アウシュビッツ ナチスとホロコースト』
URL:https://navymule9.sakura.ne.jp/Rudolf_Hoess.html
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