この記事には、
2024年5月23日に公開された映画『関心領域』に出てきたおばあちゃん(ヘートヴィヒのお母さん)のシーンについての考察をまとめています。
知りたいもやもやスッキリさせていきましょう。
『関心領域(映画) 』のおばあちゃん(ヘートヴィヒの母親)が帰った理由を考察
おばあちゃん(ヘートヴィヒの母親)が帰った理由。
それは、
夜になって壁一枚向こう側にあるアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所が存在感を帯びたことによって、居心地が悪くなってしまった為でしょう。
なぜならば、
おばあちゃん(母親)は、
昼間は普段と特段変わった様子はないようでした。
自分に立派な客室があてがわれたことを喜び、
料理人、乳母、庭師、運転手、裁縫師、美容師、清掃員と揃っている家で女王様のように暮らしている娘に対して、「あなた幸せよ」だったか、「あなた運がいいわ」だったか、声を掛けていました。
しかしそれが夜になると…
周囲は静かになり、辺りも暗くなったからでしょう。
壁の向こうから聞こえてくる不穏な音が、
それまで以上にはっきりと聞こえてくるようになりました。
それは、工業騒音であり、ホロコーストの犠牲者の悲鳴でした。
おばあちゃんが窓から外を覗くと、壁の向こうで赤く燃えさかっている炎が見えます。
それは、遺体が燃やされているから。
焼却炉だけでは遺体の処理が間に合わず、外で燃やしていたから、あんなに明るかったのかもしれません。
おばあちゃんは、その光景を恐ろしげに見つめていましたね。
その後おばあちゃんは結局一睡もできないまま、
娘に挨拶もしないで帰宅してしまったようでした。
風や雷の音でもドキドキしてしまうのに。
それは、眠れないね
『関心領域(映画) 』のおばあちゃん(ヘートヴィヒの母親)の手紙の内容を考察
おばあちゃん(母親)が残した手紙の内容。
その手紙の内容とは、
・祖母が帰ったこととその理由が分かる内容
・ヘートヴィヒの気分を害する内容
だったようです。
例えば、このような感じだったのではないでしょうか。
↓
「お母さんは、悪いけどもう帰るわね。この家にいると、なんだか囚人が気の毒に思えてしまって落ち着かないの。お陰で夕べは一睡もできなかったわ。あなたはよくこんなところで平気で生活ができているわね」
ヘートヴィヒは、
手紙を読むと急に母親を捜すことをやめ、
母親の朝食も使用人に言って下げさせていました。
これらの行動から、
その手紙は母親からの手紙で、
彼女が帰宅したこと、また、その理由も記されていたことが想像付きます。
ヘートヴィヒは読んだ手紙をポイすると、
お手伝いさん(恐らく料理人)に激しく八つ当たっていました。
「夫があなたを灰にして辺り一面まき散らすから」
と…。
その手紙の内容が、
ヘートヴィヒにとって不愉快なものだったことが分かりますね。
恐らく母親は、
バカ正直に、
手紙に自分が帰る理由や自分の心境をつづったものと思われます。
そのような手紙を読んだら、
ヘートヴィヒはせっかく都合の悪いことは見ないようにして生活しているのに、面白くないですよね。
本来であれば、手紙を読んだヘートヴィヒには改心してもらって、
これまでの自身の非動的な行いを省みて、
せめて使用人には親切に接しようという気になってもらいたかったですよね。
しかし人間そう簡単には変わりません。
ヘートヴィヒは、そう易々と彼らに罪がないことを認めるわけにはいかなかったのです。
なぜならば、認めてしまえば、
ヘートヴィヒの築いた"完璧な生活"が崩れ去ってしまうことになります。
自分の築いたお城がまさか被害者たちの屍の上に建っているなんて、あってはならないのです。
しかしそれが現実です。
ヘートヴィヒもそれは本当は分かっているような素振りでしたね。
だから余計にいらいらするのでしょうか。
ヘートヴィヒにも母親のように、
こわごわと窓から外の様子を眺めていた時期があったのでしょうか。
しかし耐えられたのは、
きっとそれなりの報酬が与えられていたからなのでしょう。
残酷な話ですが、良いこともあったのです。
例えばヘス家には、ガス室に送られた人々から盗んだ家具や美術品が飾り立てられていました。
現代人が多くのストレスを抱えながらも仕事を続ける理由も、
きっと大半がお金という報酬を得る為ですよね。
そしてお金の為とあらば、
平気で詐欺を働く人もいるというのが恐ろしい現実です。
『関心領域(映画) 』のおばあちゃん(ヘートヴィヒの母親)のシーンは何を伝えたかったか考察
おばあちゃん(ルドルフの妻の母親)のシーンは何を伝えたかったのか。
それは、「慣れって怖いよね」ということが一番だと思います。
おばあさん、どうして急に帰ってしまったの?
なぜ窓の外を眺めていたの?
その考えこそが、
制作側の思うツボにゃのだ!
ヘートヴィヒも、
まさか母親が眠れなくて帰ってしまうとは、
思ってもみなかった様子でしたね。
ヘス家は、
父親の仕事の関係で、ダッハウに約5年、ザクセンハウゼンに約2年、そしてアウシュヴィッツには約4年と、強制収容所を転々としています。
家族みんなにある程度耐性がついていたのでしょうが、
しかしおばあちゃんにとっては、強制収容所の隣で過ごしたことは、新鮮な経験でした。
視聴者もいつの間にか、
強制収容所の不穏な存在感やそれに対するヘス家の無関心さに、
慣れていっていたことを実感させられるシーンです。
慣れと無関心て密よにゃ
おばあちゃん、なぜ帰ってしまったの?て、一瞬でも考えてしまったわたしにぞっとする
『関心領域(映画) 』のおばあちゃん(ヘートヴィヒの母親)も無関心
おばあちゃん(ルドルフの妻の母親)の反応を見て、多かった視聴者の反応が、
「おばあちゃん普通の感覚で安心した」
というものでした。
確かに普通の感覚では、あの部屋で休むことなど到底できなそうですよね。
しかしそれでおばあちゃんが善い人なのかというと、それはまた別の話です。
昼の様子を見るに、おばあちゃんはユダヤ人を軽視していたようですし、
強制収容所に連れていかれたという人のカーテンをもらい損ねたことを話しているなど、
本質的な部分は、娘と変わらないことが分かります。
おばあちゃんが帰宅した理由も、別の言い方をすると、単に"眠れなかったから帰った"だけ。
外がうるさいと眠れないのは自然なことです。
それが出先なら、始発で家に帰って早くゆっくり休みたいと思うのも自然なことですよね。
管理人にも実際にそういう経験がありますし、家族にもそういうことがありました。
おばあちゃんが眠れなかったのも、夜が明ける前に帰ったのも、
本当に普通なことなのです。
親子は、
揃ってホロコーストに関心を持たないことに決めました。
ただ一方は近くで見殺しにすることにし、
一方は遠くで見殺しにすることにしました。
ふたりの違いは、それだけであったともいえます。
安全圏から見るふたりに違いはあっても、
壁の向こう側見るふたりに、
果たして違いがいくらあるのでしょうか。
しかし今の世の中の「普通」は、
おばあちゃんのポジションで、
「安全圏からかわいそうだと思う事」ということなのでしょう。
人でなしのようですが、
それが冷たいのかといえば、そうともいえません。
自分が生き残る為には、
そうすることが賢明でしょうし、
能天気に暮らしていくには、
忘れてしまうことが最良です。
そして、そうしないことがいかに難しいか。
『関心領域』考えさせられる映画ですね。
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