本記事は、映画『関心領域』をとことん深掘りしてみた、まとめのような記事です。
『関心領域』に込められた意味や背景などを、一気におさらいしていきましょう。
史実(実話)と共に、ネタバレありで、考察・解説していきます。
実話なので、意味が分かると怖いし、ちょっとグロく感じられるところもあるかもしれないですが…
歴史のお勉強をする気分でも、楽しんで頂けるかと思います。
それでは早速怖い実話27選、確認して参りましょう。
関心領域|怖い実話①ヘス家はアウシュヴィッツ強制収容所と壁を共有している
『関心領域』でずっと違和感があったのはヘスの家の位置。なんでこんなに収容所と近いんだ?そんなに近くに住むから銃声悲鳴焼却炉の騒音排煙悪臭光害に悩まされる。ヘス自身神経まいってるし義理のお母さんは逃げ出した。でも事実なんだよなあ。。(5番がヘスの家) pic.twitter.com/ph17llXRiA
— XXXXXXXX (@khiikiat) May 25, 2024
諸悪の根源と言っても良い、アウシュヴィッツ強制収容所と壁を共有している問題。
グレイザー監督らも、その余りの距離の近さに、愕然したと話していました。
この近さであれば、壁の向こう側からも、ヘス家の幸せそうな生活音が聞こえてきただろうと。
想像するだけで怖いですよね。
へートヴィヒが"楽園"と呼んだこの庭で、撮られた家族写真は、多く残されているといいますが、
しかしどの写真も、アウシュヴィッツの壁は写らない画画で撮られたものだったといいます。
関心領域|怖い実話②ルドルフが急に表に出る
ルドルフがひとり外に出ていって、タバコを吸うシーン。
こういったことは、度々あったことだと、ルドルフ自身も、次女も、振り返っています。
ルドルフは、ふと虐殺のことが思い起こされると、家族の心地好い空気にひたっていることができなくなったのだと、後に書き残しています。
妻子が実に幸せそうにしていると、(おまえたちの幸せは、果たしていつまで続くだろうか?)という暗い気持ちにとらわれてしまうのだと。
心配の矛先は、虐殺者家族のことではなく、当然自分の家族に向かいました。
それが普通ですよね。
それが普通でなければ、虐殺など起こらないともいえるでしょうか。
次女は彼のことを"世界一良い人だった"と表現しています。
その世界というのは、ヘス家のことで、彼は世界一ヘス家の子供たちのことを考えてくれた人だったということなのでしょうね。
関心領域|怖い実話③使用人がルドルフのブーツを洗うと水が赤く染まる
冒頭にあった、使用人がルドルフのブーツを洗うと水が赤く染まるシーン。
これが怖い理由は、言うまでもないですね。
関心領域|怖い実話④ヘス家に持ち込まれる衣類はユダヤ人のもの
ヘス家に持ち込まれていた衣類は、ユダヤ人が身に付けていたものでした。
へートヴィヒは、使用人にも服を分け与えていましたが、彼女らに配布される下着を奪い、代わりに着古しを与えていました。怖いですよね。
へートヴィヒは、ユダヤ人を雇うのに収容所にささやかなお金を払うと、彼らにはタダ働きをさせました。
ただ、自分の為とはいえ、食事は自分たちと同じ良いものを与えたり、たばこや花束をあげたりと、親切にはしていたようです。
屋根裏部屋の作業場で作業をする針子に対しては、次のように話しかけました。
「すいすいと上手に縫うのね。どうして、そんなふうにできるの?だって、ユダヤ人は寄生虫で詐欺師だし、何もせずにカフェでだらだら過ごしてきたんでしょう。どこでこんなふうに働くことを覚えたの?」
アウシュヴィッツのお針子p203-204より
嫌味なのか、それともナチス・ドイツに洗脳されてしまっていて、本気で言っているのか。
しかし恐らく嫌味なのでしょう。
なぜならヘス家には、
服を仕立て直す際には、ユダヤ人が触れたものに触れると虫酸が走るという理由で、ボタンを全取っ替えするという驚愕のルールがあったからです。
ならばユダヤ人に服を作らせなければ良いと思うので、矛盾していますよね。
へートヴィヒはファッションにのめり込むあまり、アウシュヴィッツ収容所内に、高級服仕立て作業場を設けました。
私利私欲の為でしたが、結果、お針子として生きていくことのできる囚人が増えることに繋がりました。
関心領域|怖い実話⑤歯磨き粉から出てきたダイヤモンドはユダヤ人のもの
歯磨き粉から出てきたダイヤも、ユダヤ人のものでした。
これは、ユダヤ人がナチスより、強制収容所に移送させられる際に、移住するだけなのでスーツケースに必要なものを入れていくようにと伝えられていた為です。
所持品として、鍋やフライパンが多く持ち運ばれたことを考えると、胸が痛みます。
ユダヤ人は、ナチスに奪われることを恐れて、宝石を歯磨き粉の中やマグカップに取り付けた隠し底の隠して持ち運んだのでした。
それでいてヘートヴィヒの「奴らは賢い」「もっと探して」発言は怖いですよね。
関心領域|怖い実話⑥子供がベッドで眺めている金歯はユダヤ人のもの
ヘスの子供がベッドで眺めていたのは、ユダヤ人の遺体から抜かれた金歯でした。
合わせて延べ棒にされることが一般的だったようです。
それだけでも怖いですが、
ユダヤ人の遺体から金歯や髪の毛(繊維会社に売られた)を刈るいやな役割を、
ゾンダーコマンドと呼ばれるほぼユダヤ人からなる特殊部隊にやれと命じていたというのですから、
酷ですよね。
関心領域|怖い実話⑦遺体の処理が追い付かないので焼却炉を建設
ルドルフ・ヘスが建設会社の人を自宅に招いて、アウシュヴィッツに建設する2炉目の焼却炉について、商談をしているシーンがありました。
この焼却炉の役目は、ユダヤ人の遺体を焼却することです。
そして商談の会話に出てきていた"荷"というフレーズは、遺体のことを指していました。冷酷で怖いシーンです。
ナチスは、
①悪臭がひどくなる
②囚人の不安を煽る
という理由で焼却を急いていたようですよ。
そして親衛隊の妻は、
悪臭を"ソーセージ工場のニンニクの臭い"だと信じることにしたようです。
その後のヘス作戦では、2か月間で43万人、1日約1万人の人が亡くなりました。
が、
焼却炉だけでは無論遺体を処理することはできませんでした。
関心領域|怖い実話⑧川を黒く染めたのはユダヤ人の遺灰
映画の途中、川が黒く染まり、血相を変えた父親が慌てて川で遊んでいた子供たちを外に出すというシーンがありました。
これは、アウシュヴィッツ強制収容所よりユダヤ人の遺灰が流されてきた為でした。
骨も流されてきていましたが、それは砕ききれなかった分と思われます。
ナチスは、犯罪の証拠をのこしたくないという理由で、骨を残すことを良しとはしませんでした。
意味が分かると怖いシーンです。
関心領域|怖い実話⑨体を洗うシーンですらホラー
ヘス親子は、黒くなった川から上がると、やっきになった様子で体を洗っていました。
その他にも、へートヴィヒが入浴を楽しんでいたり、ルドルフ・ヘスが局部を洗うシーンも出てきました。
しかし壁の向こうでは、水も石鹸も貴重品で、囚人たちは、1日にわずかな時間しか使えない細い水を求めて争っていました。
あるとき、ヘルタ・フフスは自分のズボンを洗うために水を使おうとした。ドイツ兵にそれを見咎められ、むき出しの臀部に鞭を25回ふるわれて洗い場から蹴り出された。こんな状態で、どうすれば女性たちがシラミとおさらばできるのか。
アウシュヴィッツのお針子p170より
怖いですよね。
彼らは、水の無さに、泥水をすすることもありました。
大変な思いをしたのは灰になってしまった人たちの方だというのに、
それくらいのことで、ジャッブジャッブ水を出して体を清潔にしているシーンは、
囚人たちの惨状を知っていると、余計目に付いてしまうシーンです。
関心領域|怖い実話⑩娘も母親も無関心
母親がアウシュヴィッツ収容所の存在感に居たたまれなくなって帰るシーンがあります。
このシーンは、へートヴィヒの、そしてへートヴィヒの母親の、そして観客の無関心さを訴えてくるようなシーンです。
娘はアウシュヴィッツの物騒な音や景色に完全に無関心のようでした。
観客もそれらに少しずつ慣れてきてしまっていたところでした。
娘は隣にいて無関心になることを選びましたが、
祖母は遠くに行って無関心になることを選びました。
関心領域|怖い実話⑪へートヴィヒはアウシュヴィッツ強制収容所の本質を知っていた
へートヴィヒは、それまでも薄々と察していたと思われますが、1942年に、ルドルフの口からアウシュヴィッツ強制収容所の本質を知りました。
へートヴィヒは、使用人に対し、
「夫があなたのことを灰にして辺りにばらまいてやるから」
と脅していました。
壁の向こうでは、本当に囚人が灰になり、辺りにばらまかれているのですから、これは悪質なジョークではありません。ただひたすらに怖いだけです。
へートヴィヒ・ヘスは、気に入らない使用人がいると、ルドルフに告げ口をしたといいます。
このシーンは、
へートヴィヒが、壁の向こうで何が行われているのかを把握していることを教える為のシーンでもあるかもしれないですね。
この他にも、
子供たちがプールで遊んだまま家に上がったので床が水で濡れたのを早く拭けと怒鳴るなど、
ヘートヴィヒの使用人対する態度が目に余りますね。
関心領域|怖い実話⑫庭師が庭に遺灰をまいている
ヘートヴィヒが「灰にして辺りにばらまいてやる」と使用人を脅したその後、
ヘス家の庭師が誰かの遺灰を庭にばらまいているらしきシーンが、意味深に映し出されます。
これが本当に使用人というわけではないと思いたいですが、なんだかゾッとしてしまう怖いシーンですね。
関心領域|怖い実話⑬ヘートヴィヒは家族よりアウシュヴィッツに夢中
ルドルフの転属が決まります。
ヘートヴィヒは、
夫と離れるのは寂しいと言いつつ、
自分がアウシュヴィッツから離れることは頑固として許しませんでした。
農業をやることを夢見ていたヘス夫婦にとって、
アウシュヴィッツでの暮らしは正に理想。
庭には野菜畑があり、
アウシュヴィッツ利益地域には広大な農業付属収容所が設立されていました。
おまけに、欲しいものは何でも手に入りました。
ヘートヴィヒは、
"ここで暮らしここで死にたい"とすら言っていたのです。
ヘートヴィヒは、ルドルフに、
アウシュヴィッツは子供達にとって最高の環境で、
子供達は心身共に健康であると訴えていました。
しかし冷静な目で見れば、
子供達は健康とはいえず、最高な環境でもありません。
ヘートヴィヒはただ自分がアウシュヴィッツから離れたくないという理由で、
子供をダシに使ったのでしょうか。
ある親衛隊の妻?ケーテ・ローデは、
ユダヤ人がアウシュヴィッツに移送されてくると、
お宝がたくさん手に入るということなので、
大変喜んだのだそうです。
まさか、アウシュヴィッツ強制収容所にはマイナスどころか、
プラスのイメージが打ち勝つことすらあったのでしょうか。
現代でのことならば我々にも分かりますが、
たとえば住宅街で工場が騒音や悪臭をまき散らしていれば、それは間違いなく大クレーム案件です。
しかしその見返りとして月に10万もらえるとしたらばどうでしょうか。
生活に苦しければ苦しい程、それがむしろありがたいものに感じられますよね、きっと。
本当に怖い話です。
関心領域|怖い実話⑭次女が夢遊病
映画には次女(インゲ=ブリギット)が夢遊病であることの描画が出てきましたが、
これももちろん実話です。
インゲ=ブリギットは当時10歳でした。
夢遊病の原因は分からないものの、
昼間のストレスや興奮を伴う体験がきっかけになるということです。
これを健康とは、やはり怖いですね。
関心領域|怖い実話⑮長男が洗脳されてていじめっ子
長男(クラウス)はヒトラーユーゲントのメンバーで、彼が戦争ごっこで身に付けていたと思われる青年隊の制服は、ヒムラーから贈られたものでした。(制服は自分で用意しなけねばならなかった)
▼ヒトラーユーゲント…
1926年に設立されたドイツの国民社会主義ドイツ労働者党党内の青少年組織に端を発した学校外の放課後における地域の党青少年教化組織で、1936年の法律によって国家の唯一の青少年団体(10歳から18歳の青少年全員の加入が義務づけられた)となった。「ヒトラー青少年団」とも訳される。
Wikipedia ヒトラーユーゲント
ヒトラーユーゲントでは、武器の訓練や、基本的な戦術の学習などがされたそうです。
ヘス家の使用人たちは子供たちと仲が良く、子供と遊ぶのを楽しみにしていたそうですが、
しかし長男はいじめっこだったので別で、注意を払っていたのだそうです。
たとえばクラウスは、囚人をぱちんこで撃ったり、鞭で叩いたり、叩いたりしました。
また、処罰した方が良いと思う囚人について、告げ口をすることもありました。
クラウスは看守に憧れていたようですが、彼がそのまま看守になっていたらと思うと怖いですよね。
そしてクラウスのような少年は、きっと他にも多くいたことでしょう。
関心領域|怖い実話⑯少女は収容所にりんごを届けていた
映画の途中に出てくる幻想的な少女は、
レジスタンス(抵抗)活動をしているポーランド人でした。
ポーランド人の少女は、当時、強制収容所に出入りしても、看守にさほど気に留められなかったといいます。
それで少女は命を張って、夜な夜な収容所に忍び込んでは、
翌日囚人が見つけられるように、彼らの勤務地にりんごを忍ばせていたというわけでした。
子供が子供として扱われない怖い時代です。
レジスタンス運動によって、犠牲者も出ましたが、多くのユダヤ人が強制収容所から脱出することに成功しました。
関心領域|怖い実話⑰窓辺で物騒な会話を聞く次男
少女が彼らを生かそうとして置いたりんごの奪い合いになった囚人が、皮肉にも射殺されてしまうというシーンがあります。
その会話を、次男(ハンス・ユルゲン)が窓辺で耳にしていました。
パンの奪い合いでもころし合いが起こるような時代でした。
子供たちは"何も知らなかった"とされていますが、果たして本当にそうだったのでしょうか。
子供たちは、戦争ごっこをすることがありました。(父親に見つかるとひどく叱られた)
またあるときには、へートヴィヒの親友のミア・ヴァイセボーンは、ルドルフとへートヴィヒの不在中に子供達と囚人ごっこをしました。
そのごっこ遊びで、本物の囚人で料理人のゾフィー・スティペルが椅子に縛り付けられ、石鹸を重しにしたタオルで殴られたというのですから、怖いですよね。
関心領域|怖い実話⑱看守の怒声はガン無視で野鳥の声のみ拾う
途中、ルドルフと息子が乗馬を楽しむシーンが出てきます。
辺りは、
看守の怒声でうるさかったです。
しかしルドルフが拾うのは、観客の耳には届いてこない野鳥の鳴き声のみ。
あの鳥の鳴き声は聴いたかとか、
今のがこの鳥の声だとか、
そんなことしか話しません。
息子も息子で特に看守の怒声には触れません。
奇妙で怖いシーンですが、親子にとってはこれが普通で、
暗黙の了解になっているのでしょう。
関心領域|怖い実話⑲ルドルフがライラックを愛でる
ルドルフが、
「ライラック(木)を傷付けるな」
と重々しく電話しているシーンがあります。
人間でなく木とは…、
怖いですが少し滑稽にも感じられますね。
関心領域|怖い実話⑳ルドルフが馬を愛でる
ルドルフは、大の馬好きだということです。
アウシュヴィッツを立つことになって、
ルドルフは、「大好きだよ」と馬に額を寄せて挨拶しています。
ここでも、人間より馬か…と思ってしまいますよね。
その考えはその考えで、怖いかもしれないですが…。
関心領域|怖い実話㉑ルドルフが愛人をつくっている
映画の途中に、若い綺麗な女性が登場します。(その後ルドルフは局部を洗い、娘には「汗かいている」と言われます)
が、この女性は、ルドルフの愛人であるようです。
ルドルフ・ヘスは、1942年頃、非ユダヤ人の使用人と体の関係を持ちました。
庭師の証言によれば、これがへートヴィヒにばれ、口論になったようです。
相手の言い分は、本当なのか、リアルで怖いものでした。
関心領域|怖い実話㉒虐殺現場を監督するルドルフも犠牲者
ルドルフ・ヘスが、虐殺現場を目の前に、
無関心でいる様子を映し出しているようなシーンがあります。
ルドルフ・ヘスは、
こういった虐殺現場を監督しているときの気持ちについて、
次のように記していました。
人間らしい感情をもっているほどの者なら誰しも、心を引き裂かれるような思いの事態の時にでも、私は、冷酷・無情に見せかけねばならなかった。どれほど、人間らしい感情的がこみあげてなようとも、私は絶対に目を背けることを許されなかった。母親たちが、笑ったり泣いたりしている子供たちと共に、ガス室に入って行くときにも、冷たく見送らねばならなかったのだ。
アウシュヴィッツ収容所 私は人間の尊厳を傷つけた…所長ルドルフ・ヘスの告白遺録p146
虐殺現場を監督していると思われるルドルフもやがて消えて画面は真っ白になるのですが、
これは、彼が、人間的感情を沈黙させたということを表していたのかもしれません。
ルドルフは、"第3帝国の巨大な虐殺機械の1つの歯車にさせられてしまっていた"とも振り返っていました。
加害者もまた被害者であるという事実は怖いですよね。
関心領域|怖い実話㉓ヘス作戦を実行
ルドルフ・ヘスは映画の最後、
ヘス作戦を監督する為に、
アウシュヴィッツへと帰ることになります。
約2か月間で43万人の人が亡くなりました。
ルドルフ・ヘスに、
もう後戻りすることはできないようでした。
関心領域|怖い実話㉔アウシュビッツ=ビルケナウ博物館
アウシュヴィッツ=ビルケナウ博物館には、当時の遺品や、当時の写真が多く残されています。
ナチスの犠牲者の数は、600万人に上るといわれています。
関心領域|怖い実話㉕ルドルフ・ヘスは平凡な人間
『関心領域』のラストシーンでは、
虐殺者として知られるルドルフ・ヘスは本当は平凡な人間で、
あなたと彼の何が違うのか、
といった恐ろしさが凝縮されているように思います。
関心領域|怖い実話㉖ルドルフの最期
ルドルフ・ヘスは戦犯として、
1947 年 4 月にアウシュヴィッツで公開絞首刑に処されました。
ルドルフ・ヘスの取り調べに当たった検察官のホイットニー・ハリスニュルンベルク裁判検察官は、
「彼が普通の男であったことに驚いた」と話していました。
ルドルフ・ヘスは、至って客観的に、
感情的になる様子もなく、
後悔している様子や罪の意識を感じている様子も見られず、
自分が行っていたことは仕事だったと、淡々と話したと言います。
そして絞首台に送られる最後の最後まで落ち着いていました。
部外者からしてみれば、
生き延びていてほしかったと思います。
が、犠牲者や遺族の人達からしてみれば、
怒りや恐怖の対象でしかなかったことでしょう。
拷問はあったようですが、
しかしいきなり何の前触れも心の準備もなしに訳もわからず恐怖の中で長い苦しみの中命を絶たなければならなかった人々に比べたら、
落ち着いて最期を迎えることができたといえるのかもしれません。
手記も残されたので、
彼は理解されることもできます。
彼らは裁判にかけられると、
口をそろえたように「命令に従っていただけ」と言ったそうですが、
「収容所で略奪してはいけない」(これらはドイツの財産であり私腹を肥やした場合には死刑になる)という命令には背いていました。
つまり彼らは、彼らの意思で、従う命令を選んでいたことの表れだというんですね。
なるほどな、と思いました。
もし看守が誰か囚人に情けをかけて逃がしていたとして、
その逃がされた誰かがその看守(被告人)の裁判で温情を訴えていたらば、
彼らの結末はまた違ったものになったかもしれないと思いました。
当時の状況は分からないですが、
脱走することができる人もいたくらいでしたから、
脱走させることはもっと簡単だったのではないでしょうか。
もっとも上にバレたら、看守といえど死刑になりましたから、
命がけです。
(実際、とある親衛隊隊長は、収容所送りになることが決まった元共産党員に情けをかけて、最後に自宅に戻って妻に別れを告げるのを許しました。ところが目を離した隙に逃亡されてしまい、そのことの責任を問われた結果、死刑になりました。強制収容所に収容される=死のようなものですから、逃亡することを責められないですよね…)
逃亡させるとはいっても、
死亡したように見せかけないと身代わりの犠牲者が出ることにもなるので、
逃亡させるなら郊外が最も適していたでしょうか。
関心領域|怖い実話㉗ルドルフが残した手記にて
ルドルフ・ヘスは、以下のように手記を締め括っています。
世間は冷然として、私の中に血の飢えた獣、残虐なサディスト、大量虐殺者を見ようとするだろう。——けだし、大衆にとって、アウシュヴィッツ司令官は、そのようなものであるとしか想像しえないからである。そして彼らは決して理解しないだろう。その男もまた、心をもつ一人の人間だったことを、彼もまた、悪人ではなかったことを。
アウシュヴィッツ収容所 私は人間の尊厳を傷つけた…所長ルドルフ・ヘスの告白遺録p179
ルドルフ・ヘスが人間味に溢れた良識人であったであろうことは、
これらの文面からも、
次女が遺した「世界一良い人」という言葉からも、十分読み取ることができます。
本当に悪人だったのであれば、
子供に愛される父親になることなど、到底できなかったことでしょう。
人相も穏やかそうで好意が持てますよね。
ルドルフ・ヘスの自然な姿は、
子供の前にいる姿だったのだろうと、
『関心領域』を観た人であればきっと、そう感じますよね。
SNSでは、
"実在のルドルフ・ヘスをググったら戦犯として処刑されてて、「ああ…ダメだったか…」みたいな感情が生まれたのが一番怖かった"という感想を見ましたが、心温まるものがありました。
その人について関心を持つことが、愛の始まりなのだと感じさせられますね。
ルドルフが残した手記からは、
子供との時間を十分に持ってあげられなかったこと、
親衛隊にならなければ良かったことなどの後悔の念が伝わってきます。
そして気になったのは、
ルドルフ・ヘスが、
ゾンダーコマンドの行動や気持ちが最後まで不可解だった、と振り返っていた点です。
ルドルフ・へスは、
ゾンダーコマンドが、たとえ遺体の中に妻の姿を見つけても、一瞬ギョッと飛び退いて立ち尽くしただけで、後はたんたんと作業を続けたことや、
まるでドイツ兵かのように、あらゆる手を使ってユダヤ人をガス室に送り込んでいたことの気持ちが最後まで理解することができなかったと、振り返っています。
彼らが一貫してそのように見えたのであれば、
それは個人的な問題ではなく、
環境に問題があったのでしょう。
つまり本当に不可解だったのは、
彼らをそのような心理状況に追い込んでいた、ホロコーストの方だったように思えます。
ルドルフが虐殺現場の歯車だったのであれば、
彼らはその歯車の使い捨ての部品だったといって過言ではありません。
つまり、
彼らもまたルドルフと同じように感情を沈黙させていた、
ということではないでしょうか。
しかしそのときばかりは、
死んでいた感情が一よみがえる程に、ショックだった。
しかし彼らの気持ちを本当に理解することができるのは当人だけですから、
それを理解できたと思う事こそ、
傲慢というものかもしれません。
生き残ったゾンダーコマンドは、
「何も感じなくなった」
「良心は奥にとどまってしまう」
等と話していました。
あともう一点気になったのが、
ルドルフ・ヘスが、
"自身は虐待をしていない"と主張していたことです。
つまり彼は、私情で彼らを虐待することはしなかったということでした。
名目上、ルドルフ・ヘスの名前で多くのことが行われていたということですが、
彼はほとんど何も知らなかったということです。
また、彼はアウシュヴィッツ収容所内で行われる虐待に対して、
自分に許される手段の全てをあげて、闘ったということでした。
(しかしとても根絶することはできなかった)
彼は、
あくまで命令に従っていただけで、
例えば死刑執行人のような感覚で、アウシュヴィッツ収容所を監督していたのではないかという気がします。
ガス室送りについても、
彼の中ではむしろ最後までいたわれるやり方だったという認識だったようです。
いたわれる、てどういうこと?と思いますが…
和訳を読んでいるわけですから、
ニュアンスは違っているのかもしれないですが…
「後ろ向け」などと言わずに、
最後まで「シャワー浴びさせる」と言って送ってあげられる、
という意味なのでしょうか。
彼らに対して親衛隊はとても丁寧に服を脱ぐように声を掛けたという証言がありましたから。
(怒鳴ることもあった)
強制労働させられた後や人体実験の後に亡くなるよりかは、
マシだったということでしょうか。
しかし少なくとも親衛隊にとっては安楽なやり方でした。
(銃殺はトラウマになるので、親衛隊の負担が大きかった。これだけ聞くと、おいおい…何かわいいこと言っているんだ…と思ってしまいますが、彼らも虐殺兵器の歯車になっていたということなのでしょう)
ガス室送りにされた人々の悲鳴は、
2台のエンジンを全開にかけてもかき消すことはできなかったそうです。
すぐ亡くなる方もいたようですが(体の弱い方など)、
しかし長いと20分苦しんだようです。
あの光の当たらない箱の中で。
コンクリートの壁に残る無数のひっかき傷が、
彼らの苦しみを物語っています。
が、死に顔は色は悪くともきれいだったようなので、
それもあるのでしょうか。
もしガス室=安楽というイメージがあり続けていたということならば、
それはややこしかったですよね。
しかし、彼が一番愛した家族が、
壁の向こうで何をやっていたか知っても、
彼のことを愛していたこと、
それが本当に良かったと思いました。
参考文献:
書籍『アウシュヴィッツ収容所 私は人間の尊厳を傷つけた…所長ルドルフ・ヘスの告白遺録』
書籍『アウシュヴィッツのお針子』
映像『アウシュビッツ ナチスとホロコースト』
URL:https://navymule9.sakura.ne.jp/Rudolf_Hoess.html
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