『聲の形』は、人気作品である一方、「ひどい」「いじめ美化」「胸糞(むなくそ)」などという酷評も目立ちます。
とにかく、出てくる出てくるキャラクターがひどいし、むなくそ悪いんだってよ
作者も登場人物「全員嫌い」だと言ってるくらいだからにゃ…
石田将也は胸糞(むなくそ)なのか?
石田将也が胸糞だという人は、非常に多いですよね。
いじめをやった時点でムリ!だということです。
特に前半は胸糞悪すぎて、見ていられないという人多数…
しかし自分は胸糞だとは思いませんでした。
そもそも、まず石田将也がリアルみに欠けていると感じてしまうので、胸糞だと思うまでに行きつかないというのはあるかもしれません。
なぜあの家庭環境(あのお母さんの元)で、あのような凶暴ないじめをする性格に育ったのか?
なぜそこまで反省、矯正することができたのか?
片親だというのは、性格が歪む理由にはならないですよね。
しかしフィクションなのですから、こうした疑問に答えがあるとはいえず、そこは、薄毛を気にして?出ていったというお父さんが歪んでいたと想像するしかない…
あとは、いじめに年齢は関係ないというのは承知ですが、それでも石田将也が小学生だった、というのは、許せるポイントだと思いませんか?
「好きな子をいじめてしまう」現象もあったのかなと。
無視系ではなく、一対一のときでも話しかけているところも見ると…
石田将也は西宮硝子に関心を持っていたと思います。
うまくいえないですが、石田将也は西宮硝子と同じ目線で話しかけている、というのでしょうか…ある意味見下していないというか…
そういうのって、分かりますよね。
そして、いじめっこの石田があの後急にいじめられっ子になる描写にはムリを感じませんか?
そんなことって、あるんでしょうかね…
しかしここでもフィクションなのですから、答えを何もかも求めてはいけない、となり、楽しんで読ませてもらってます、となるわけです。
最後にもっともあり得ないと思うのが、その後猛烈に反省して矯正した件です。
神がかっていますよ。
そして石田は、西宮にとっての救世主ともなったんですよね…
石田の場合、西宮が可愛い年頃の女の子になっていたから、それで恋してしまったから、というのはあるでしょうが…
相手によってはその後自殺していたのかと思うと、胸糞悪くなるかもしれませんが、しかし石田がいじめたのは西宮なのであって、西宮にとってはそれがベストだったのでしょう。
いじめられて終わりではなかった西宮が、うらやましくも思えるわけですよ。
石田はファンタジーだと思います。
川合みきは胸糞(むなくそ)なのか?
川合みきも、「胸糞」「河合を許すな」などと中々酷評を得ていますよね。
いじめているのにいじめている自覚がない、というのが、川合みきが嫌われるポイントです。
正直川合みきに関しては、胸糞だと思うシーンがありました。
それは、自殺しようとした西宮に平手打ちをしたシーンです。
何の権利があって…?と思いますよね。
西宮にとって川合がどんな存在か、分かりませんが、他人に触れられるだけでもいやなものなのに…
しかしいじめに関していうと、彼女の立ち位置は傍観者に含まれるのではないかと思います。
クラスでいじめが発生した場合、いじめっ子に立ち向かうヒーローになるか、傍観者になるか、2つに1つしかない、ということになります。
つまり、ほとんどの人が傍観者になるわけですが、これまで一度もいじめを見たことのない人がいるでしょうか。
ですが、自分はいじめに加担していたという認識している人も、ほとんどいないでしょう。
川合は西宮に親切にしようともしていますからね。
川合は、特に取り立てることもない、ごく普通の人かもしれません。
植野直花は胸糞(むなくそ)なのか?
植野直花についても、ひどい、胸糞だと酷評が多いですよね。
植野直花は、恋敵としても西宮硝子を疎んでいる傾向があります。
しかし作者は、
硝子は植野に嫌われているとはわかっていますが、自分のことでこんなところまで踏み込んできてくれる人は今まで誰ひとりとしていなかったので、感動しているんです。
『聲の形』公式ファンブックp183
と述べています。
これ、すごく分かります。
石田じゃないですが、自分をひとりの人間として接してくれている感。
ひどいことを言われているのに、どこか温くて、うれしいと思ってしまう戸惑い。
本当に同じような境遇になってみないと共感できないかもしれないとは思いますが…
はだしのゲンでもありましたね。
あれはいじめられていたのはゲンですが、とある病人が、よそよそしい態度なのではなく、ゲンが正面から思い切りぶつかってきてくれたことに感動し、涙するシーンが。
植野と西宮は、東京に出てからも交流しているようです。
終わり良ければ全て良しで、微笑ましいですよね。
周囲からはもしかしたらそうは見えないかもしれないですが、西宮硝子にとって、植野直花は、ただ無害でいてくれる人より、優しいのかもしれないと思います。
担任竹内先生は胸糞(むなくそ)なのか?
そして最後に胸糞だと名高いのが、水門小の竹内先生ですよね。
竹内先生の行動によっては、小学生相手ですから、いじめを防ぐことができたと、考えずにいられないですよね。
しかし竹内先生はいじめました。
西宮と石田と植野のことを。
彼には擁護する点が見つからないですよね。
しかし竹内先生が後に手話覚えていたことに対しては、感動しました。
竹内先生が、喜多先生に、「自分が覚えるより先に生徒に覚えさせようとするなんて恥ずかしいと思いませんか?」と言っただけあると思いました。
が、蓋を開けてみれば、それはあくまでスキル向上の為だったということで…
ガッカリはしましたが、そのスキルによって助かる人はきっといるのでしょうし、その向上心が、竹内先生の良いところですね。
作者も「全員嫌い」!?どういうこと?
『聲の形』の作者・大今良時先生は、
『聲の形』に出てくる登場人物みんな嫌いなのだそうですよ。
(大今先生が一番好きなのは誰ですか?という質問に対して)
エキレビ!(https://www.excite.co.jp/news/article/E1416421795504/)
大今「うーん……みんな嫌いです」「だって、私は作者だから。神だから。彼らをどうとでも出来てしまうので、「誰を好き」みたいなことは考えられないんです。どのキャラクターも「自分の分身」だと思って丁寧に書きましたが、だからこそ、私の主観がどのキャラにも入ってしまうので。それは、なんだか気持ち悪い感覚でした」
(週刊少年マガジン 2014年51号より)
しかし大今良時先生は、
どのキャラクターも自分の分身だと思って、
丁寧に描いたとのこと。
どれかのキャラクターを好きだというのは、
なんだか自分を好きだと言っているようなので、
気持ち悪かったのかもしれないですね。
因みに大今良時先生は、
いじめが描きたかったのではなく、
「嫌いあっている者同士の繋がり」が描きたかったのだそうです。
読者に嫌われるようなひどい登場人物ばかりになったのは、
「争いは醜い」ということなのかもしれないですね。
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