『シンドラーのリスト』最後は本人?画像・実話付で1人1人解説

ナチス映画『シンドラーのリスト』の最後のシーンに出てくるのは、本人なのか?

気になりますね。

1人1人、画像付で確認してみました。

映画では描かれなかった実話もいくつか併せて確認していきます。

『シンドラーのリスト』赤い服の女の子の解説・考察はここから

目次

『シンドラーのリスト』最後は本人?画像で確認

結論からいうと、
『シンドラーのリスト』のラストシーンには、
実際にシンドラーのリストに載った本人と、その本人を演じた俳優が、一緒に映っていました。

どっちがどっちかというと、一緒にお参りしている内の年配の方が本人で、若い方が俳優だと考えれば良いですね。

エリノア・ブレッチャー著,磯野宏訳,『私はシンドラーのリストに載った』,1996年,新潮文庫
当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント
当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント

『シンドラーのリスト』に出演した本人は、
ナチス崩壊後、
約50年~生き延びた人々です。

『シンドラーのリスト』は、
ドイツが1945年に降伏した後、
1993年に公開されています。

尚、オスカー・シンドラーは1974年10月9日に他界しています。

俳優はそれぞれどんな役柄を演じていたっけ?
つまり、最後に登場した本人には、それぞれどのような過去があったんだっけ?

次の項目には、
俳優が演じた役柄と、
映画では語られなかった本人や、
シンドラーのエピソードも、
まとめています。

映画の最後に出てきた順に紹介

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『シンドラーのリスト』最後は本人?画像・実話付で1人1人解説

赤字…シンドラーのリストに記載された本人の名前(俳優の名前)

  • ジャネック・ドレスナ(ミリー・ファビアン)
  • ダンカ・ドレスナー(アンナ・ミュシャ)
  • モルデチ・ヴァルケン
  • ライザード・ホロヴィッツ
  • ニウジア
  • ジョセフ・パウ夫妻
  • オレック・ローズナー
  • マンシ・ローズナー
  • ヘンリー・ローズナー
  • レオポルド・ローズナー夫妻
  • ミラ・ペファーベルグ(アディ・ニトゥザン)
  • レオポルド・ペファーベルグ(ジョナサン・セガール)
  • イザック・シュターン夫人(ベン・キングズレー)
  • ヘレン・ヒルシュ( エンベス・デイヴィッツ)
  • エミリエ・シンドラー( キャロライン・グッドール)

シンドラーのリスト最後の本人①ジャネック・ドレスナー

当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント

ジャネック・ドレスナーは、
メガネの少女、ダンカの兄弟で、
その母親、カヤの息子です。

ゲットー解体時に、
男と女で家族はバラバラに引き離されました。

映画の中で、母娘ほどには映っていませんでしたが、
最後、一家4人の名前がシンドラーのリストに記載されました。

ジャネック・ドレスナーは、ダンカの兄に当たるようです。

シンドラーのリスト最後の本人②ダンカ・ドレスナー(アンナ・ミュシャ)

当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント

ダンカ・ドレスナーは、
メガネがトレードマークの娘です。

ゲットー解体時に、
母親に床下に隠れているように言われるも、
母親の後を追いかけていきます。

すると、
そこで鉢合わせした幼い自警団(?)がジャネックの友人だった為、
母親と共に"安全な列"に移動させられたので、難を逃れました。

最後オスカー・シンドラーの保護下に移る際には、
母親と引き離され、アウシュビッシュ収容所に残されそうになるも、
オスカーが機転を利かせて、次のように発言した為救われました。

「熟練工なんだぞ!
 この指が砲弾の内側の金属を磨く。
 45ミリ砲の奥まで大人の手が届くか?」

シンドラーのリスト ⓒアンブリン・エンターテインメント

シンドラーのリスト最後の本人③モルデチ・ヴァルケン

当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント

モルデチ・ヴァルケンに映画の中で目立ったシーンはみられませんが、
最後シンドラーのリストに載りました。

シンドラーのリスト最後の本人④ライザード・ホロヴィッツ

当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント

ライザード・ホロヴィッツに映画の中で目立ったシーンはみられませんが、
最後、シンドラーのリストに載りました。

ライザード・ホロヴィッツは、
ニウジア(オスカー・シンドラーにバースデー・ケーキをプレゼントした少女)の弟です。

そして、この後出てくるヘンリーの妹の子です。

ホロヴィッツ一家には、良いコネがあったので、
収容所を生き延びることができ、
また、シンドラーのリストに記載されることになりました。

当時は幼く、
シンドラーのリストに載ったユダヤ人の中でも最年少だったと考えられている彼は、
当時のことをあまり覚えていないそうです。

しかし人が言うには活発ないたずらっ子で、楽しくやっていたそうです。

シンドラーのリスト最後の本人⑤ニウジア

当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント

ニウジアは、オスカー・シンドラーにバースデー・ケーキをプレゼントしました。

ニウジアは、ライザード・ホロヴィッツの姉です。

そして、この後出てくるヘンリーの妹の子です。

ライザード・ホロヴィッツがいうには、
ニウジアは当時彼とは違いすでに年長になっていた為、
他の年長組もそうであるように、
心が凍りついてしまい、無感覚になってしまったという話でした。

シンドラーのリスト最後の本人⑥ジョセフ・パウ夫妻

当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント

ジョセフ・パウ夫妻に映画の中で目立ったシーンはみられませんが、
最後シンドラーのリストに載りました。

シンドラーのリスト最後の本人⑦オレック・ローズナー

当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント
エリノア・ブレッチャー著,磯野宏訳,『私はシンドラーのリストに載った』,1996年,新潮文庫

オレック・ローズナーは、
収容所でナチスの手から逃れる為、お手洗いの排泄物の中に飛び込んで身を隠した少年です。

オレック・ローズナーは、この後にも続くローズナー一族の一員です。

※オレックというのは、ポーランド語系の愛称で、アレックスというのは、英語系の愛称

彼が排泄物の中に身を隠すシーンは非常に印象的ですが、
オレック・ローズナーに至っては、
お手洗いの排泄物の中に身を隠したことはないということです。

オレック・ローズナーの父親がバイオリン弾きでオーマン・ゲートの庇護を受けていた為に、
父親の息子である彼もまた庇護を受けることになり、
幼いながらもホロコーストを生き残ることに繋がりました。

彼はむごたらしい生活にすっかり順応してしまったので、
暴行されて痛くとも泣かず、ショックも受けなかったということですが、
10歳で解放された後、
これが普通の生活なら今までの生活は何だったんだと、ショックを受けることになりました。

シンドラーのリスト最後の本人⑧マンシ・ローズナー(ベアタ・パルーチ)

当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント

マンシ・ローズナーは、オレック・ローズナーの母親です。

マンシ・ローズナーは、
女囚人たちの寮母のような存在で、
女囚人たちは、
みなが威厳や人間性を無くしていく中で、
マンシ・ローズナーのそのウィーン育ちでお高くとまった姿に、
強く励まされたのだといいます。

寮母には、小部屋が与えられたりストーブが与えられたり食料が余分に与えられたりと、
他の囚人より待遇が良かったそうですが、
自身のブロックの囚人の責任も負わされる為、
脱走者が出た際には、むき出しの臀部に25回の鞭打ちを食らわせられたといいます。
(しかし自分を鞭打ったのはユダヤ人の自警団だった為、その内の半分はブーツめがけて打ってくれた)

オスカー・シンドラーは、1957年にニューヨークにあるローズナー夫妻宅を訪れています。

連泊する際、
毎晩1本ずつコニャックを彼の部屋に置いといたそうですが、
ボトルはあくる朝には空っぽになっており、
それでいて、彼が酔ったことは1度もなかったといいます。

シンドラーのリスト最後の本人⑨ヘンリー・ローズナー

当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント

ヘンリー・ローズナーは、マンシ・ローズナーの夫です。

ヘンリー・ローズナーは、バイオリン奏者で、
このことは、一族の命運を大きく分けることとなりました。

なぜかというと、
アーモン・ゲートが彼のバイオリンを聴きたがった結果、
オスカー・シンドラーともよく顔を合わせることになり、
一族がオスカー・シンドラーの庇護を受けることに繋がったからです。

ドイツ兵は、ユダヤ人を嫌悪していましたが、
それ以上に、音楽を愛していました。

それはあの悪名高きアーモン・ゲートも同じことで、
彼はバイロンを変えるとすぐに気が付くくらいに耳が良く、
ヘンリー・ロズナーは、1日の終わりに、大量虐殺をしたことによる良心の呵責をなだめる為に演奏させられることもしばしばあったといいます。

そこでヘンリー・ローズナーは、このことを利用し、
アーモン・ゲートに対し、
"自分の息子(オレック)が殺されようものなら、自分はどうでもよくなるので、そのときはもうバイオリンも演奏しない"と伝えました。

音楽の力というのはすごいもので、
ヘンリー・ローズナーは、音楽で孤独な将校を死に追いやったことがあるそうです。

ヘンリー・ローズナーは、音楽で人を死に追いやることができるという思い込みの元、その孤独な将校に狙いを付けて"愛の為に死ぬ決意をした男の物語"を繰り返し弾いて聞かせたところ、彼は本当に頭を撃って自殺してしまったのだといいます。

これは、ヘンリー・ローズナーの生涯を通してのお気に入りの話となったようです。

この話を聞き付け、
ナチスを死に追いやったその手にキスをさせてほしいと願い出てきた男もいたそうです。

シンドラーのリスト最後の本人⑩レオポルド・ローズナー夫妻

当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント

レオポルド・ローズナー夫妻に映画の中で目立ったシーンはみられませんが、
最後シンドラーのリストに載りました。

レオポルド・ローズナーは、ヘンリー夫妻と一緒に、シンドラーリストに載っていることを確認していました。

レオポルド・ローズナーは、ヘンリー・ローズナーの弟です。

シンドラーのリスト最後の本人⑪ミラ・ペファーベルグ(アディ・ニトゥザン)

当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント

ミラ・ペファーベルグは、レオポルド・ペファーベルグの妻です。

ゲットー解体時に、
レオポルド・ペファーベルグに下水道から逃れるようにようと言われますが、拒否しています。

シンドラーのリスト最後の本人⑫レオポルド・ペファーベルグ(ジョナサン・セガール)

当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント

レオポルド・ペファーベルグは、
ゲットーでは禁じられている物の売り買いを行っていました。

教会で取引を行っている際に、
オスカー・シンドラーに取引を持ち掛けられます。

ゲットー解体時には、
ナチスの手から逃れようと、下水道を通って逃亡を図りますが、
しかし途中で多勢のドイツ兵に遭遇してしまった為、
敬礼し、道路を片付けるよう命令されたと、咄嗟にうそをつきます。

結果、「ニセSSめ」と笑われてバカにされはしたものの、
一命を取り留めました。

その後、妻のミラと一緒にシンドラーのリスト入りを果たしています。

シンドラーのリスト最後の本人⑬イザック・シュターン夫人(ベン・キングズレー)

当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント

イザック・シュターンは、言わずもがな、
『シンドラーのリスト』ではオスカー・シンドラーの右腕となり、相棒として、多くのユダヤ人をホロコーストから救った人物です。

イザック・シュターンは、
オスカー・シンドラーが亡くなるより5年前の1969年に亡くなっていますので、
夫人のみ出演していました。

シンドラーのリスト最後の本人⑭ヘレン・ヒルシュ( エンベス・デイヴィッツ)

当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント

ヘレン・ヒルシュは、
アーモン・ゲートに気に入られ、
ユダヤ人の腕章をつけさせられることなく、アーモン・ゲートの屋敷でメイドをさせられていました。

最後オスカー・シンドラーがアーモン・ゲートに交渉した為、
無事シンドラーのリストに載ることができました。

シンドラーのリスト最後の本人⑮エミリエ・シンドラー(キャロライン・グッドール)

当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント

エミリエ・シンドラーは、オスカー・シンドラーの妻です。

別居しており、途中、オスカー・シンドラーを訪ねていった際には愛人と鉢合わせしてしまい、気を悪くしていました。

エミリエ・シンドラーは、
"ドアマンが皆自分の事を「ミセス・シンドラー」と呼べばここにいる"と言いますが、
ドアマンが間違えてしまったようで、再び彼の元を去っていきます。

しかしその後シンドラーから次のように言われて呼び戻されました。

「ドアマンもウェイターも二度と君の事を間違えないよ」

シンドラーのリスト ⓒアンブリン・エンターテインメント

こうしてシンドラー夫妻はまた最後には一緒になり、
終戦後は共に逃亡しました。

エミリエ・シンドラーは、
オスカー・シンドラーの名前に隠れがちですが、
ユダヤ人の為に献身的に看病に当たるなどしていました。

以上、ご本人登場の後に続いた人々も、
シンドラーのリストに載ったことで命を救われた人々であると考えられます。

最後シンドラーの墓の正面に立っていたのは?

当サイトで撮影,『シンドラーのリスト』,Ⓒアンブリン・エンターテインメント

因みに最後、シンドラー・オスカーの墓に花を添えて正面に立っていたのは、
シンドラー・オスカーを演じたリーアム・ニーソンだということです。

リーアム・ニーソン、格好良かったですね。

シンドラー・オスカーが持っていたであろう、
風格と茶目っ気を見事に演じていました。

『シンドラーのリスト』最後は本人?感想

『シンドラーのリスト』最後は俳優と一緒に本人が登場していたということでしたが、
皆血が割と繋がっていましたね。

ホロコーストを生き延びることが難しかったのは、
特に子供やご年配者といった、労働力になることが難しい人々でした。

『シンドラーのリスト』では、
若い子供たちも割と生き延びていたことが印象的でしたが、
ひとりひとりの過去を知ると、
それぞれにコネがあったことが分かりました。

同じユダヤ人の中でも、
違いはあって、
やはり人脈のある人間の方が生き延びる確率は高かったのですね。

そして、
収容所の中で目立たないことは大事だったと思われますが、
書籍『シンドラーに救われた少年』を読むと、
積極的に行動を起こすこともまた功を奏することに繋がったのだと思わされました。

映画には出てきませんでしたが、
レオン・レイソン少年は、父親がシンドラーの元で働いていた為、
最終的には家族5人がシンドラーのリスト入りすることに成功しました。

が、彼は途中2度シンドラーのリストから外されそうになっており、
その際には大胆にも、普段非道に囚人を打ち殺しているSSに訴えたり、シンドラーに訴えたりしたことで、
危機を免れています。

どうして彼はSSに撃ち殺されてしまわなかったのでしょうか。

彼があまりに堂々としていて人間の尊厳が備わっていたからでしょうか、(事実、ちゃんとした格好をしているユダヤ人の方が丁重に扱われたらしい)
子供だったので、このときばかりはそれが有利に働いたのでしょうか。

それは当時にしてみれば射殺されていてもおかしくない行動でしたから、
結果論でしかないですが、
必ずしも大人しくしていることが最善ではなかったことがいえます。

ヘレン・ヒルシュが言っていたように、
生き残る為の正解は、むしろ存在しなかったのでしょう。

それでも後になってみて、生存率が上がるに必要であったといえるような気がするのは、
若く健康であったこと、疑心暗鬼であったことと、そして生きることを諦めなかったことのように感じますが、
どうでしょうか。

『シンドラーのリスト』赤い服の女の子の解説・考察はここから

参考文献:書籍『私はシンドラーのリストに載った』

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